夜行タクシー

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田所にとって、殺人という行為は今日が初めてだった。久し振りに彼女に会い、突然別れを告げられる。そんな想像すらしていなかった田所のポケットには、豪華な指輪が入っていた。 そうだ。田所は今日、幸せにあるはずだった。9年も付き合っていたのだ。何年も前から、そろそろだ、そろそろだろうと、分かってはいたが、どうしても切り出せなかった。 しかし今日、今日こそはと、夜景が綺麗な川沿いの道路に車を止め、田所は少し顔を赤らめる。橋を絶えず渡る車たちのライトが、何とも言えずに綺麗だった。 「なあ恵み…俺と」 喉元まで出かけた声は、そこで止まった。 「ごめんなさい、私…他に好きな人が出来たの」 彼女は、月明かりに揺れる川の水を見つめながら、背中でそう語った。 手摺に前のめりにもたれ、何か一区切りがついたかのように、健やかな笑みを浮かべていた。 一方の田所は怒りに震えていた。 田所の彼女に対する依存が、崩れ去った瞬間だった。 たまたま乗せていたレインコートを羽織る。前日、買ったばかりで車に置き忘れていた新品のレインコートだった。 もはや、その衝動は止められなかった。 田所は静かに恵に近づき、後ろから髪の毛を鷲掴んだ。「ちょっ…何!?」彼女の声など聞こえない。 手摺から無理矢理引き剥がし、その細い首に両手を当てる。力は徐々に増していき、最後には、彼女はまったく動かなかった。
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