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時刻は夜の7:00をまわる。
いつもこの時間はドキドキが止まらない。
ガヤガヤしてるけどうるさいわけではない店内。入り口の鈴がチリンと鳴る。
目を向けると僕のドキドキが更に酷くなった。
一人の男性が店内に入ってくる。
昨日とは別の黒のスーツを身にまとった彼は店内を一瞬見渡していつもの席に歩を進めた。
ピアノの席の斜め向かい。
落ち着いたクリーム色のソファ。
店内の女性達の視線がチラリチラリとそちらに注がれる。
僕は思わず自分の服の裾をキュッとつかんだ。
「音羽(おとわ)」
もう出番だというのに突っ立ていた僕に、呆れたマスターの声がせっつく。
すいませんと一度謝り、慌てて中央にあるピアノへ。
彼の横を通り過ぎるも、ドキドキと恥ずかしさで見ることができない。
「がんばって」
小さく聞こえた甘く低い声が僕を更にパニックにさせる。
無数のスポットライトが今日もやけに暑く感じた。
ピアノの前に立ち、前後左右に礼をする。
椅子に座って深呼吸。
鍵盤の黒い蓋を一撫でするとなんだか愛しい気持ちが込み上げてきた。
ピアノが好きだ。
色、形、音。全部好き。
小さい頃から習ってきたものだから手放したくなくて、このカフェでピアノを弾くバイトをしている。あと、ピアノ講師の仕事もしている。雇われだけど。
マイクテスト代わりにドの鍵盤を押す。店内に音が小さく響いた。
良好な音に思わず口角が上がってしまう。
(今日もがんばろうね)
心の中でそっと呟いた。
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