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絹代は空になったグラスに、氷と焼酎と水を入れ、マドラーでかき混ぜながら、この若僧、金もなさそうなのに、こんな高級な店に、よく入ってこれたもんだ、と隣の男を見つめた。そしてまあ、あんまり不細工でもないし年も若く見える、とチラッと顔を横からのぞいた。青年は横目で彼女の顔を眺めていた。眼が合ってしまった。
僕は女が僕を見たので、もしかしたら、この女は、僕に興味を持ったんじゃないのか、と感じ、恥ずかしくなり、眼をそらした。僕はいいんだが、この女は僕みたいな貧乏くさく、美青年でもない男が、何で気になるのかなと思い、何か軟派ではないが、話しかけてみようかと考えた。
絹代は眼が合った瞬間、しまったと思った。私とした事が、こんな若僧に、何やらもぞもぞ気を揉んで何かし始めるな。やっぱりか、その青年は私に話しかけてきた。何か面倒くさいな。
僕は、その若いかわいらしいモデルみたいな隣の女が、赤い顔をしたので、ひょっとしたら僕に気があるのかな、と思った。しめた、仲良くなろう、何を話そう、女優の卵みたいだから映画か演劇の話でもしようか、そして僕は試しに言ってみた。
「あのぉぅ、ゴダールの『中国女』って良かったですね。」
絹代は、やれやれ、この男、「中国女」ときやがったか、私は観たけど、ゴダールのカメラ・アングルが、あまり好きではないのよね。何と相手したものやら、しかとするか、と思いあぐねた。
僕は女が少しあわてたのを見て、これはパアプリンの白痴かもしれない、顔ばかりきれいで中身は何もない、考えているのはセックスの事ばかりで、ひっかかったらやばいと感じ、
「い、いや、何でもないんです。最近、観た映画ったら、それぐらいしかないもんで、つ、つい。」と言ってしまった。
絹代は男が、急に白々しくなったので、心を見透かされたかな、と思い、癪に障り始めた。自尊心が許さないのだ。こんな若僧にゴダールが解ってたまるか、そして言った。
「あのねぇ、あんた、中国女って意味わかるのお、五月革命の事なのよ。」
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