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僕が自転車で有料駐輪場に入ったら、中で転んで起き上がられなくなっている女性がいた。僕が急いで駐輪し、彼女の自転車を立ち上がらせ、彼女の肩を抱きかかえ服についた埃を叩いてやった。彼女は、ありがとう、といって僕に名刺をくれた。それはその町の百貨店の経理課長を語っていた。歳は僕より少し上だった。彼女は駅前のカフェ・テラスへ僕を誘った。僕も丁度、その店に行くところだったので、よろこんで、と答えた。店外に設えられたテーブルでカフェ・ラテを二つ注文した。白いスーツの金ボタンが朝日に光りくびれた細い腰の辺りでひとつ外されていた。グッチのバックからマルボロを出し、吸ってもいいかしら、と僕に尋ねた。僕はタバコは吸わないが他人が吸うぶんにはいっこうに気にしない性質なので、おかまいなくと促した。 彼女はしきりにタバコの灰を灰皿に落としていた。そして言った。「これでもね、経理といってもマジックなのよ。昨日、あったものが今日にはなくなるの。あなたにわかるかしら?」僕の仕事は営業なので、「そして、明日にはある。」と答えた。彼女はややゆるんだ頬を動かし、納得したかのように声を出して笑った。「あなたって、あたまいいのね。」そして、さも愉快そうにまた笑った。「今日の夜、ここで会えるかしら?」と一枚のバーの優待券を僕に差し出した。僕は「いいです。」と答えた。彼女は立ち上がり、テーブルをすり抜けるようにスマートに駅前の百貨店のほうへ歩いていった。
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