呼ぶ女

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それから女は、暇な時間は青い魚を眺めて過ごすようになった。静かにゆっくりと漂う美しい魚を見つめながら、日に焼けた、甘く擦れた声の男を思った。             姉が嫁いでから、実家は女とその両親の三人暮らしになった。 時々、男は姉とともに実家を訪ねてきて、魚は元気か?と女に声をかけた。女は小さく頷いて、男に魚を見せた。 餌のやり方や、水替えの仕方などを話題にし、女は以前より男と話せるようになってきた。その姿を、姉は安心したような表情で、遠くから見つめていた。              しかし、そんな日々も長くは続かなかった。 やがて、男は転職をし、以前から希望していた遠洋漁業の道に進んだ。遥か遠い異国の海で漁をする男の船は、半年は町に戻ることはない。実家に訪ねて来るのは、男の両親と同居している姉ばかりになった。 夫不在の婚家で、舅姑と一緒に生活していくことは、気苦労も多かっただろうが、仕方ないわよね、と姉は自分に言い聞かせるように呟いていた。 男の姿を見ない日々が続く。 けれども女は、部屋の片隅に置かれた瓶の中の魚を見るたびに、男のことを思った。少年のような笑い顔と、日に焼けた肌と、擦れた声を思い出した。それは、殆ど毎日のことだった。    長い航海を終えて帰ってくると、男は必ず一度は女の実家へ立ち寄った。久しぶりに会う男からは、いつも乾いた潮の香りがした。 そして、青い魚を眺めながら、男は遠い異国の海の話を女に聞かせた。男の口から静かに語られる、見たこともない広い海原と、遠く知らない町の人々の話が、女は好きだった。 情景が頭に浮かび、遠い海の水面に浮かんだ漁船と、異国の陽射しに照らされているであろう男の姿を思った。 男の話を、時々頷く程度で、いつも黙って聞き入っていたが、行ってみたいな、と一度だけ女が呟いた時があった。 それは、思わず出た、何気ない言葉だった。 一瞬、間を置いて、男が言った。 「いつか、連れていくよ」 ささやくような、優しい声だった。 その言葉に、特別な意味はないはずだったが、女はドキッとして、目の前の男を見た。 男は瓶を手に取り、その中の狭い空間に漂う魚を見ている。 魚は、ゆらりと長い尾を揺らし、男の手の中で七色の光を放っていた。
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