呼ぶ女

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その日、その男は小さな瓶を女に手渡した。 透明で飾り気のないガラス瓶の中には、水に浮かんだ青い魚がゆらゆらと漂っていた。 「綺麗だろ。そんな狭い中でも、充分に生きれるんだ」 そういった男の声は、少し擦れた甘い声だった。 女はガラス瓶を目の高さまで上げ、覗き込むようにして青い魚を見た。瓶底まで届きそうな、長い尾を静かに揺らしながら、無表情なその魚は、小さな口をパクパクと動かしていた。 女は、魚の鮮やかな青い色をじっと見た。それは確かに美しかった。長く垂れた尾ひれに陽が当たると、それは七色に輝きを放つ。 「貰って、……いいの?」 魚から男に視線を移し、女はそうきいた。 男は小さく微笑んで頷いた。口元から八重歯が覗く、少年のような笑顔だった。             男は、女の義兄だった。 女の姉と結婚したのは、男がまだ地元の寂びれた漁協に務めていた頃のことで、その時女はまだ高校生だった。 お互い、田舎の小さな港町に住み、以前から男の顔は知ってはいた。だがその男が自分の姉と結婚し、お義兄さんと呼ばなければならない存在になろうとは、女には考えもよらぬ出来事であった。 女は、まだ子供だった。 男と姉の披露宴の最中に、酔った親類の伯父が「今夜はしっかり子作りしろよ!」と叫んだ声が耳から離れない。 伯父の冷やかしに、いやだわ、伯父さん、と応えるウェディングドレスの姉と、照れながら笑う男を見ながら、なんていやらしい、と女は思っていた。             それ以来女は、夫婦になった姉と男の前では、あまり話せなくなってしまった。姉は人妻になり、顔見知りの男は義兄になった。そこに小さな違和感を感じ、女は二人の前では無口になっていく。 男が、瓶に入った青い魚を女にプレゼントしたのは、あまり自分と口をきいてくれない女の態度を気にかけてのことだった。 そして、そんな男の気遣いを、女も感じ取ってはいた。 男の優しげな眼差しを、正面から受け止められず、女は男の首筋に視線を落とした。日に焼けた肌が目の前にあり、微かな潮の香りがした。男とこんなに近くで話すのは、この時が初めてだったかもしれない。 男は、まだ何か言いたげに女の前に立っていたが、それじゃ、と小さく言って去っていった。男のその背中を見つめながら、女は青い魚の漂うその瓶を、両手でぎゅっと、強く抱きしめた。image=470054173.jpg
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