第六章

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阿漕は咄嗟に嘘を申しましたが、典薬助は全く意に介しません。 「じゃが、何でも姫さんには、他に男があるらしいんじゃよ。北の方様もそれで急いでおいでらしいのじゃ」 何が何でも今宵契を結ぶとばかりに、典薬助は気持ちの悪い笑みをこぼしながら、阿漕の元を去って行きました。 阿漕は膝が震える想いでしたが、なんとか立ち上がって北の物置に向かいます。 (とりあえず、姫様にお伝えしないと!) 物置の戸にはやはり錠が差してあり、開けることは叶いません。けれど、丁度夕餉の時間のせいか、物置の近くに人の気配が無いので、阿漕は急いで扉に口を寄せました。 「姫様、阿漕にございます。大変なことになりました。お気を強く持ってお聞き下さいまし! 実はこのお邸の居候の典薬助の爺さんが、北の方様にそそのかされて、姫様と結婚するつもりでいるのです。 今宵にもここに来ると言っていたので、咄嗟に今日は姫様の忌日だと言っておいたのですが――」 早口で事の次第を伝えていた阿漕の耳に、こちらへ渡ってくる足音が聞こえてまいります。 見咎められる訳にはいかないので、阿漕は悔しい思いで物置を離れました。 そこに現れたのは北の方で、典薬助の為に、物置の錠を外しに来たのでした。
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