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「うん。好きに引き上げればいいんじゃない?何なら一兆とか。どうせ売らないから、そちらも払わないんだし」
同じ笑顔、同じ口調。初めから何ら変わらない。
初めから、本当に拓郎は一切この土地を売る気はないのだ。
「じゃあ、何で書類を読んだんだ?」
覚悟を決めたのにまた肩透かしを食らって、悟はつい問いかけていた。
「それは、もちろん・・」
拓郎の表情が少し変化する。
ニコニコとした笑みに少し真剣な眼差しが加わって、
「佳奈美ちゃんが渡してくれた文(ふみ)を読まないわけがないじゃないか」
「・・・・文?」
「・・・・佳奈美ちゃん?」
拓郎は佳奈美を見つめていて、悟も佳奈美も拓郎の話に全くついていけない。
「・・・えっと、・・篠原は鈴森さんと知り合いなのか?」
「いえ、今日が初対面です!」
「運命の出会いだね」
悟は拓郎の『佳奈美ちゃん』発言に、二人が以前からの知り合いであるのかと思おうとした。
しかし、佳奈美の全面否定と中年オヤジのいかれた言葉が返ってくるだけ。
つまり、この拓郎という男はいかれているのだ。
見た目三十過ぎの完全に仕事人間な初対面の女を下の名前で『ちゃん』付けして呼び、熱を帯びた真剣な眼差しで『運命』などと言ってしまえる程度に。
確かに、拓郎には娘が一人いるが離婚はしているので、法律上も倫理上も問題はないのだろうけど。
「佳奈美ちゃんがじっと私を待っている姿が献身的で愛らしく、また私を落とすためだけにこれを書いたのだろうと考えると、もう胸が熱くなって、何度も何度も読み返してしまったよ」
そんないかれた理由で、一時間以上も正座をさせられていたのかと思うと、悟の額に青筋が立つ。
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