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視線こそ敵から外さないクロームだったが、その実意識の半分は今の轟音に持っていかれていた。
空気から伝わる振動で理解する。
この千年、世界を見守り続けていた見聞の塔から、崩壊の音が鳴ったのだ。
見聞の塔は建築物でありながら物質に等しく訪れる劣化という現象が存在しない。またいかなる衝撃であっても疵ひとつ付かず、汚れることもなく陶器のような光沢をこの千年間保ち続けている。これは本来空間干渉でも実現不可能な事象だ。
原理は現在でも公式的な見解では究明には至っていない。というより、伏せられているという方が正しい。
その見聞の塔に今、遠目からでも分かる程の罅割れが生じている。このまま眺めていれば塔はやがて崩壊を起こす。
そしてそれこそが、神樹計画完遂の始まりとなる。
「ダズモンド様…」
主人の名を呼び、身を震わせる。
ようやくこの時が来た。
全ては世界救済の為。
全ては同胞の無念を晴らす為。
悲願の為に貌を変え、身体を変え、年齢を変え幾星霜。その全ては、ダズモンド・ギーラットの為に。
「あぁ、ようやく」
白い魔力に包まれながら、クロームの姿が徐々に変容を起こす。目が霞んだエレインにはいまいちその全容を把握出来なかったが、髪が白くなっていることだけはなんとか見えた。
「ようやく、貴方の名を呼べるのですね」
エレインは動かない。
否、動けなかった。
既にこちらは満身創痍。
その上腹に風穴を開けられとなっては、もはや戦闘を継続することすら困難だ。
だがここが正念場。
湖による治癒はいずれ終わりが来る。
その時まで持ち堪えられれば、形勢は変えられる。
「まだやれますか、亜門」
「あぁ………」
頭部を接着させた亜門が低い声で答える。
部外の者にも拘らず、鬼もまた懸命に戦ってくれている。
「いいでしょう。もう少しだけ付き合って貰います」
◇
見聞の塔の異変は戦場のほぼ全域に伝わっていた。
当然と言えば当然。
国内外にてその姿を確認出るほどの巨大建築物が、ほんの少し、だが確実に傾いた。
断じて見間違いではない。
二重三重にブレる足元の巨影は、まるで地震を思わせる程に明確に揺れている。
だが大地そのものが揺れているわけではない。
見聞の塔の基礎部は地盤に依存していない。
言うなればこの星の核ともいえる部分に直結している。
故に揺れているのはあくまでも見聞の塔だ。
塔が激しく振動し、そのエネルギーの余波が大地を震わせている。
何かが起ころうとしている。
予期していなかった事態に遠征隊のメンバーは一様に動揺を隠せない。
何かを勘繰るにしても規模が大きすぎる。
このまま崩壊するのならばここから退散はさけられない。
だが中に向かわせた西崎の安否はどうなる。
付け加えるから見聞の塔は現在占拠状態。
今回の騒動とは無関係の魔術師も住居部に取り残されているに違いない。
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