桜の唄は彼方へと

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僕、葉波 哉汰(はなみ かなた)は部活で疲れて帰ってきた。 もうすぐ夏休みになる。高校に入って初めての夏だ。 ありがたくも新人レギュラー入りした僕は、きっと練習や試合で忙殺されるだろう。 (楽しみも大きいけれど、こんなに疲れる毎日は困るな……) そんなことをぼんやり考えながら家に入った。 「ただいまぁ」 「お帰り、哉汰くん」 僕は、母親ではない、けれど聞き覚えのある声にぴくりとした。この声はもしかして……。 おそるおそる居間に顔を出すと――。 「ナツおばさん!」 「お久しぶり、哉汰くん。しばらく会わないうちに、ずいぶん背が伸びたのねえ」 そう言ってにっこりと笑った女性は古森 夏(こもり なつ)さん。僕の昔からの知り合いだ。 わりと近所に住んでいるけれど、最後に会ったのが中学の卒業式だから、もうずいぶんになる。  「お久しぶりです。元気そうで良かった」 「おかげさまでね」 お互いの近況だとか、たわいもない会話をした。学校がああだとか部活がこうだとか。 そして僕は何気なく訊ねた。 「あ、おばさん。桜音は元気ですか?」 ―――桜音(おと)。 ナツおばさんの養女であり、僕の幼馴染み。 長い栗色の髪をさらりと揺らして、くすくすと笑っていた無邪気な女の子。 その時、おばさんの表情が変わったのを僕は見逃さなかった。 ただの夏休みが姿を変えようとしていた。
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