280人が本棚に入れています
本棚に追加
ホームを線路側に寄り、茶美は両腕を伸ばした。合わせた左右の手のひらを上にむけ、水をすくうように、蝶々に向かって突きだす。
蝶々をつかまえて、外まで持っていって逃がしてあげようと思ったのだ。
すると、真っ赤な蝶々は方向を変え、すっと、茶美の顔めがけて飛んできた。意思を持った動き。ふわふわと浮かんでいたのに、突然直線的な軌道(きどう)で茶美の鼻先に突っ込んできた。
「はっ」
息をのみ、驚きに目を閉じた。
「あれ」
すぐに目を開けると、真っ赤な蝶々の姿がない。
え、と思い、顔を振って辺りを見まわす。
いない。
背中にくっついているんじゃないかと思い、手をまわして服をはたいてみる。
体の向きを変えて確認する。
「いない……」
そんなばかなと、頭を振ってみたり、バックにとまっていないか探してみたりしたが、やっぱりどこにも見当たらない。
なにかの見間違いだったのかなあ、と茶美は首をひねったが、そんなことに頭を悩ませている場合ではないということを思いだした。
再び走りだして、階段を駆け下りる。
パスモを処理して、改札をでる。
地下通路を走って階段を上がり、勢いよく外の歩道へと飛びだした。
日が暮れ始めている。薄い遮光カーテンが下りたように、青山の街は淡いブルーに満たされている。
歩道の端に立ち、茶美は南青山の方向へ首をひねった。
つま先立ちになり、ひんやりとする風に髪をなびかせながら、赤坂通りをこちらに向かって走ってくるタクシーを、茶美は目をこらして探した。
「早くきて」
祈るように願う。
夕暮れに、茶美の細い首筋がほの白く浮かび上がっている。
最初のコメントを投稿しよう!