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いつもと変わらない、暑苦しいような朝だった。
違うのは、自分の部屋だけだと言うことを、敢えて考えることはしなかった。
「…………ごめん……」
*****
一泊二日の少ない荷物を持って部屋を出ると、心配と申し訳なさみたいなものを浮かべた母親が立っていて。
何かを言いかけて口を開いた後で、結局は何も言わずに
「なくさないでね」
そう呟いて、何かを握らされる。
開いた手に乗っていたのは、東京行きの新幹線の切符だった。京都発のそれを、黙って財布にしまい込んだ時
「気を付けて」
紡がれた言葉が、ごめん、と言っているような気がした。
「遅いっ」
「ぇっ!?」
ドアを開けて一歩。
外へ出た途端に声を寄越されて、思わずギクリと顔を上げる。
「ビックリした?」
その先で、明が楽しげに笑っていた。
本当はとてつもなくギクっとしたのだけれど、全然、と笑い返す。
「早いね、今日は」
「もちろん。もうさー、二時間くらい前に起きてさー。準備万端でさー、出発までめちゃくちゃ余裕だったんだー」
楽しくて仕方ないような顔をするのに、つられたように笑い返す。
さっきまでの鬱々とした想いが、たちまち消えていくのが解る。
せっかくの旅行なんだから、全部忘れて楽しめばいい。せっかく、──最後、の旅行、なんだから。
明がこんなにも楽しそうにしてるんだから、自分も楽しまないと意味がない。
その後で自分がしてしまう罪のことは、もう。
今だけは、忘れてしまおう。
全ての罪への罰は、後からいくらでも受けるから、と。
今のこの時間を楽しむことに、許しを請うように一度目を閉じてから。
「──行くかっ」
「んっ」
太陽の下で楽しげに笑う明を、目に焼き付けた。
*****
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