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「那津さん」
「おおさき、くん?」
「おはようございます。次の駅で降りますよ」
「ん」
寝ぼけて子供みたいな声が出た。
通勤中に立ったまま寝ていたことはあるけれど、こんなにしっかり眠れた試しは無かった。
「こっちです」
抱き寄せられてたままの勢いで、手を引かれて歩く。
この手を離さなきゃ、とは、もう思わなかった。
昨日別れた中央改札を右に折れ、そのまま更に地下鉄に乗換える。
「私も人のこと言える立場じゃないけど、会社 遠いよね」
「仕方ないですよ。
事務所の家賃とか、他の社員の移動距離を考えて此処にしたんです。
俺が一人暮らしを続けてれば、近かったんですけどね」
「そっか」
男の人なら、かなり早い段階で一人暮らししていてもおかしくない。
今は、お金がもったいないからと、実家暮らしをしていると言っていたけれど。
「どうしました、那津さん?」
「ううん。勝手だけど、大崎君が実家から通ってくれてて良かった。
そうじゃなかったら、私を見つけてもらえなかったなって」
ふわり、と自然に笑みがこぼれていた。
その途端、私の手を繋ぐ手が更に、ぎゅっと強くなった。
「ぃたっ!」
少し痛い、けど心がじわりとするのが堪らない。
「ちょっと急ぎます」
「え??」
地下鉄を降りるなり、急に大股で歩き出した彼。
手を引かれた私は、もはや小走りで追いかける。
大きくて、綺麗なビルを前に、彼は手にした社員証を二枚翳して扉を開ける。
受付は無人。
「ここ?」
「ここの16階」
エレベーターが直ぐに開いて、
「ぅっ、ん!!」
彼の腕の中に引き込まれて、そのまま熱い唇を受ける。
濡れた水音が、無音のエレベーターに響くようで、恥ずかしさに拍車がかかる。
早急なのに、乱暴じゃない。
ー他の誰かにも、こんなことをするの?-
彼のキスが上手ければ上手いほど、蕩けそうな思考の片隅に、黒い思いが沸き起こる。
信じてみたい。
だけど、それにはまだ、彼のことを知らな過ぎる。
心はもうこんなにも、この温もりを欲しているのに・・・・。
甘くて、苦くて、嬉しくて、苦しい。
キスに応えながら、そっと彼のコートの袖を握りしめる。
本当は縋り付いてしまいたいのに。
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