第5章 世界はあまりに■■過ぎる

7/67
前へ
/391ページ
次へ
「騙し討ち(フェイント)が、モットーなんですよ。」 瞬間、俺は右手に全筋力を総動員させ、地面を下へ垂直に押し込む。 無論、地面は決してその程度で浮き沈みしたりはしない。 ならばそこには、純然たる反動力だけが残る。 そうなれば、俺の体は浮き上がるのが道理であるが、現実問題そうはならない。 片側にだけ力を受けた物体は、“軸を中心に回転する”のが必然。 現在、俺の軸は左足に設定されている。 と、なればだ。 俺の体は土下座の形から、左足を主軸に上半身が宙へ持ち上がりつつ、更に右に片寄った力により右半身が右向きに回転する。 するとどうだろう。 あれだけ醜い土下座姿から、ここに今、即席的に“右後ろ回し蹴り”が完成された。 「ッ!?」 ルール上、あの体勢のまま足の裾を引っ張るだけでも俺の勝ちではあったが、それでは俺の気が収まらない! 俺を侮り、こんな恥辱的な格好まで晒させた罪、今ここで全て清算しやがれ! 卑怯だなんて言わせねぇぞ? “先にルールを破ったのはそっちじゃねぇか”! 年長?先輩?関係あるかよ!! 狙うは後頭部。 お望み通り“一撃で”沈めてやる! 相手は前屈みのまま。 その姿勢では避けるのは愚か、ガードすら追いつかないだろう。 「なっ……」 そして俺の右足は、吸い込まれるように彼の後頭部に軌跡を描き…… ドガァ!!!! 入った! 「…………んだこりゃぁあよぉぉお?」 ……………………。 ………………。 …………。 ここで、孝の犯した“失態”について、言い訳をさせて欲しい。 この時の孝は“病み上がりだった”。 孝の会得している『鬼心流』とは、彼の言うとおり“騙し討ち”に重きを置く武術である。 誠意、礼節、罪悪感。 それら一切をかなぐり捨て、相手の意表を突き、期待を裏切り、欺き続ける武術。 勝ちのみを追い求め、過程を軽視した悪鬼の御技。 だが、そんな武術を会得しようものなら、当然のことながらその者は“人を芯から信じる事が出来なくなる”
/391ページ

最初のコメントを投稿しよう!

209人が本棚に入れています
本棚に追加