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人を頼ることはあっても、人を信頼したりはしない。
人に用を任す事はあっても、人を信用したりはしない。
自らですら、それの例外ではない。
当たり前だ。
人はその気になれば簡単に人を裏切れる事を、その者は身をもって知っているのだから。
いずれそれが自分へ向けられることを、その者は非道く恐れている。
知っている、他人とは期待を裏切る生き物である。
知っている、純然たる正直は有限であることを。
知っている、“意図の有無に関わらず”他人は嘘をつくものなのだ。
では何故だ?
何故、ソレを知っていた上で、“相手の指定した場所に、何の疑いも持たずのうのうと従ってしまったのか”?
何故、“相手の手の内も知らぬ内に、無警戒にも不意打ちなど仕掛けてしまったのか”?
慢心していたから?激情していたから?
それがそもそも孝にとっての異常だ。
騙し討ちとは、慢心からは生まれない。
そうしなければ勝てないという“劣等感”から生まれるものだ。
同じ理由より、常に劣等感を持ちながらの戦いを強いられる孝が、侮られたからといって激情など抱くのだろうか?
確実に、“不調”である。
無理も無い。彼は4年間もの間、ずっとあの牢獄で“入院生活”を送ってきていたのだから。
どれだけ気を付けていても、心身共に脂肪はつく。
だからこそ、孝はこの瞬間に、行動を、感情を、判断を間違えた。
ドカァ!!!!
(入った!)
不意打ちに決めた後ろ回し蹴りに手応えを感じ、孝は疑いも無くそう確信した。
だが……。
「…………んだこりゃぁあよぉぉお?」
その確信を“裏切る”かのような、怒りに満ち震えた声が孝の鼓膜を木霊させた。
そこでやっと、自らが蹴ったモノの違和感に気づく。
(振り……抜けない!?)
孝は自分が当てたであろう筈の、拓斗の頭部に目を向ける。
それは“土”だった。
地面から“伸びた”それは、まるで卵の殻のような弧を描き、拓斗の後頭部を俺の蹴りから防いでいた。
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