死番虫インテルメッツォ

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 そこには誰が正しいも誰が間違ってるもなくて、要はそれで自分が納得するかなのである。他人を納得させる必要はない。その意味や正誤なんてのは、誰かが勝手に言っているだけのことであって、金を得て生活に満足するならそれでいいし、愛を知り人生が潤えばそれでいいのだろう。  意味の延長線上には、発端というものがそこかしこに散らばっている。  例えば地蔵様を蹴った、そしたらドブに落ちた、財布を落とした、車に引かれそうになった、やべーよ、たたりだよと思い、それで地蔵様をピッカピカに磨いて何事もなくなった、よかったーなんて思うかもしれないが、その時は他の、できれば神仏に無頓着な数人にも試してもらって、何かが起こるか観察してからでも遅くない。まあそれでもたたりが続くようなら、すぐにでもお祓いに行くべきなのだろうが。
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