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「……は?」
まだ、少し枯れているあたしの声は微かに聞き取れる程度の声しか出なかった。
「田村 敬三、いるでしょ?
あれはね、私をここにいれた張本人なのよ」
言葉を理解するのに、どれくらい時間がかかったのだろう。
この人を入所させた長男が、あの田村さん?
田村さんは、アルツハイマー病を患ったとは思えない程しっかりしていた。
面白くて、職員からも好かれるようなそんな人だった。
そんな、田村さんが、虐待、されている?
誰に?
「誰が、そんなこと、それに、救うって、どうやって」
動揺が隠せなかった。
あたしのいる施設で虐待なんてあるはずがなかった。
そう、信じたかった。
「田近 啓介」
その人はポツリと言った。
その声に少し、恐怖さえ感じた。
「田近さんが、そんなことするはずがないですよ
だって、田近さんはみんなに優しくて頼り甲斐があって……」
「うふふ、まだまだ若いわね
自分が見えているものだけを信じては駄目よ
人はいくらでも偽ることが出来るのよ」
「そんなこと言われたって……」
正直な感想だった。
そんなこと言われたって、あたしにはどうすることも出来ない。
信じることは、出来ない。
「信じられないみたいね
なら、こうしましょう。
事実を見たら信じられるかしら?
あの田近啓介が夜、働いてるところを見てみなさい。
誰にも気付かれないように、静かにしているから」
そうするしかなかった。
あたしに選択の余地はなかった。
小さく頷いたあたしを見て、満足そうに微笑むその人は自分の顔の前で手をパチンと叩いた。
「うふふ、じゃ、決まりね!
そう言えば、まだ私の名前を言ってなかったわね
田村時子
それが、私の名前よ
よろしくね、和葉ちゃん」
優しさで溢れている時子さんの全ては、あたしには恐怖にしか感じなかった。
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