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「篤史、車をまわしてこい」
その貫禄のある声に反応して、誠一は美術館の方に振り向いた。
そこには、声に違わぬ佇まいを見せる初老の男性がいた。スーツを身につけた男性二人を従えて、美術館から出てきたところらしい。篤史と呼ばれた運転手らしき男性は、黒革の鞄を携えて足早に正門を出ていく。もう一方の、誠一よりやや年上と思われる男性は、黒い布で包まれた大きくて平たい何かを、大事そうにしっかりと抱えていた。
--絵画……か?
誠一は無性にそれが気にかかった。職務中でなかったため少し迷ったが、意を決して、正門をくぐり彼らの方に向かっていく。相手がこちらに気付くと、軽く一礼し、ポケットから警察手帳を取り出して掲げた。
「警視庁捜査一課の南野と申しますが」
「一課? 担当が違うのではないか?」
初老の男性は胡散臭そうに誠一の全身を見まわす。ジーンズにブルゾンという、刑事らしからぬ格好も訝しんでいるのだろう。一瞬、誠一は言葉に詰まったが、それでも引き下がりはしなかった。
「捜査権はあります。お手数をおかけしますが、中を確認させていただけませんか」
黒い布に包まれた物体を左手で示しながら、誠一は丁寧な口調で要請した。
しかし、男性は鋭い眼光で睨めつけて抵抗する。
「我々を疑っておるのか?」
「念のための確認です、ご協力を」
誠一は顔色ひとつ変えずに答えた。このくらいで怖じ気づいていては刑事など務まらない。高圧的な視線から逃げることなく、しかし挑発的になることなく、あくまで平静と中立を保ったまま見つめ返す。
張り詰めた沈黙が続いた。
それを打ち破ったのは、青ざめながら美術館から飛び出してきた中年の男性だった。
「君っ! 警察か?!」
「はい、あなたは……」
誠一は警察手帳を見せながら尋ねた。彼は少し息を整えてから答える。
「館長の中川だ。いいか、この方たちを疑うのはまったくのお門違いだ。その中身は先刻まで当方が借り受けていた絵画で、盗まれた『湖畔』ではない。私も包むところを見ている。第一、そのとき『湖畔』はすでに怪盗ファントムに持ち去られていたのだからな」
「念のための確認です、ご協力を」
融通のきかない堅物のように、誠一は先ほどと同じ言葉を繰り返した。自分の目で確認するまで納得してはならない。それが、先輩刑事の岩松から教わったことのひとつだ。
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