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「お願いしてあった絵の件ですが」
澪たちから離れたところに立っていた悠人は、隣のふくよかな介護士の女性にそう切り出した。彼女は人の良さそうな柔らかな笑みを浮かべ、わかりやすく頷きながら答える。
「ええ、この部屋に飾れるよう手配いたしますわ」
「それでは、よろしくお願いいたします」
悠人は黒い布を丁寧に外し、額縁に入った『湖畔』を彼女に手渡した。
「あら、この絵……盗まれたって話題になっていたあの絵じゃ……」
彼女はまじまじと見つめながら呟く。
澪はドキリとして顔をこわばらせたが、悠人は少しも動じず、にっこりと完璧な微笑を浮かべて答える。
「レプリカですよ」
「ですよねぇ」
ほほほと笑いながら彼女は応じる。たとえ本物だと言ったところで信じはしないだろう。世間的には盗まれて行方不明のままであり、こんなところにあるなど常識では考えられないのだ。
「花さんにとって思い出の絵だと聞いて用意しました。彼女の心の支えになればと思いまして。さすがに本物というわけにはいきませんでしたが、忠実に再現したものですので……」
「お心遣い感謝いたします。花さんもきっとお喜びになると思いますよ」
今の彼女にとって重要なのは、誰の所有かではなく、自分の手元にあるかどうかである。だから、彼女が生きている間は、この絵を彼女に預けることにする--剛三はそう約束してくれた。確かに、絵を返しただけでは彼女の救いにならない。おそらくまた息子に売り払われてしまうだけだろう。
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