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「会いに来てくれるのは嬉しいけど、できれば非番のときにしてくれるかな」
誠一は密かに溜息をついてから、角が立たないようにやんわりとそう言った。何を考えているのかわからない彼のことは少し苦手であったが、付き合っている彼女の兄だから無下にはできない。しかし、遥はといえば、相変わらず愛想のかけらもない態度を見せている。
「非番の日も連絡先も知らない」
「君の妹に聞けばわかるだろう」
「澪には内緒だから」
誠一はその言葉に引っかかるものを感じた。澪に内緒の話など見当もつかないが、遥の態度からすると、あまり良い内容であるとは思えない。ごくりと唾を呑み込み、緊張しながらも核心を尋ねようとした、そのとき--。
遥はパッと車道に振り向いた。
つられて、誠一も何気なくその視線を辿る。5、6メートル先の道路脇にいたのは、エンジンをかけたままの大型バイクにまたがり、フルフェイスのシールドを上げて、じっとこちらを凝視している長身の男だった。彼の双眸は、誠一ではなく遥を捉えているようである。
「知り合いか?」
「僕は知らない」
観察するような目をその男に向けたまま、遥は答える。
「もしかしたら、誘拐しようと狙ってるのかも」
「誘拐?!」
あまりにも飛躍した話に驚いて、誠一は素っ頓狂な声で聞き返した。
「もしかしたら、だよ。子供の頃に誘拐されかけたことがあるから、ありえなくはないと思って」
言われてみれば、彼はあの橘財閥の一人息子である。誘拐を企てられてもおかしくない立場といえるだろう。彼を見つめるバイクの男が、堅気とは思えない鋭い眼光をしているのも気になるところだ。
念のため話を聞いた方がいいかもしれないと思い、誠一はその男へと足を踏み出した。それとほぼ同時に、男は素早くシールドを下げて地面を蹴り、四輪車の間を軽快に縫いながら、鼠色のアスファルトを滑るように疾走していく。その姿は、あっというまに見えなくなった。
「行っちゃったね」
遥は他人事のように言った。
これだけで誘拐かどうかの判断はつかないが、男の不審な行動には何らかの意味があるような気がして、誠一は心配になってきた。当の本人に危機感が窺えないのも問題である。
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