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俺は、唖然としたまま、アパートに戻った。
どこかで、まだ信じられなかった。
今までの自分の意地もプライドも劣等感も、どこに持って行けばいいのかわからなかった。
「どうしたの? なんか変な顔してる」
俺の顔を見るなり、美鶴が怪訝そうに尋ねてきた。
「いや、……」
「実家、帰ってきたんでしょ? ご両親と話せた?」
「ああ。……親父と」
「ふうん……」
俺の顔をまじまじと覗き込んでいた美鶴が、視線を落としてボソボソと話し始めた。
「亮くん、あのね、……私、もうひとつ、亮くんに秘密にしてたことがあるの」
そう言ったかと思うと、いきなり俺の前でふんぞり返った。
「私はね、亮くんのお父さんお母さんが、亮くんのこと愛してる証拠を握ってるんだぞ!! えっへん!!」
「はあ?」
「だって亮くん、いつも好きなことさせてもらってる。
ピアノだってギターだって、たぶんそのほかのことだって、
亮くんがやりたいって言ったこと、止められたことある? ないでしょ?」
「……ない。大学辞めたこと、くらいかな」
「それはまあ、親なら誰でも怒るでしょ!
でも音楽は? きっとホントは音楽だって、やって欲しかったに決まってる。
でも、強制されたことなんてないよね?」
「……ない」
「私ね、『イルミネーション』の初めてのライブのとき、亮くん家に連絡したの。見に来て、って」
「え!」
「お父さんは都合つかなかったみたいだけど、お母さんは来てくれてたんだよ、あのライブ」
「……マジかよ……」
「お母さんね、泣いてた。亮くんが、気持ち良さそうにギターを弾いてるのを見て。
亮くんが、ギターに出会えて良かった、って。
ピアノが亮くんを音楽嫌いにしてしまわなくて良かった、って」
…………今日は、なんて日だ。
「お母さん、すっかり聞き入っちゃってて。
で、『お父さんに録音してこい、って頼まれてたのに、全然忘れちゃってた』って、あとで大慌てして。
私、すごく納得しちゃった。
あのお母さんとお父さんだから、亮くんが生まれたんだね」
「美鶴」
俺は美鶴を抱き寄せた。
今日は本当に、なんて日なんだ。
美鶴の髪に顔を埋めて、俺はうめいた。
すべてがほどけていく。
美鶴の髪の手触りみたいに、すべらかに、柔らかく。
「亮くん?」
「うるせーよ……ちょっと黙っとけ」
「…………うん。黙っとく」
美鶴は俺の胸に顔を埋めて、くぐもった声で、ふふっ、と笑って。
それからずっと、その小さな手で、俺の背中を撫でていてくれた。
俺はその夜、美鶴に抱かれて、初めての暖かい涙を流した。
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