scene3 秋の気配

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つくり笑顔の私の前で、ただ、時間だけが静かに流れていく。 あなたは黙って、ずっと海を眺めている。 オープンカフェから見下ろす9月の終わりの海には、真夏のような浮き立つきらめきはない。 水平線から離れて細かくちぎれていく雲。 その行方を、あなたは追っているように見えた。 口数の少ないあなたと私は、いつも、こんなふうに一緒に過ごしてきた。 言葉を交わさなくても、そこには満ち足りた暖かな時間があった。 なのに。 なぜ今私は、わざわざ笑顔を作っているのだろう。 笑顔を作らなければいられなくなったのは、いつ頃からだったろう。 なぜ一緒にいるのに、こんなに風を冷たく感じるのだろう。 カップを持つ指が、凍えているみたい。 コーヒーもすぐに冷めてしまう。 あなたがふと、何か言いたげに私を見た。 その先の言葉を聞きたくなくて、私は視線を逸らすように俯いた。 テーブルにぽつり、ぽつりと舞い落ちるのは、その香りとともに風が運んだ、オレンジ色の小さな金木犀の花粒。 テーブルの周りで日除けのように蔓を伸ばす朝顔にも、もう蕾はない。 『終わりにしよう』 耳にではなく、心に問いかけられた気がした。 言わせてしまった。 言わせたのは、私だ。 いつの間にか、ついて行けなくなったのは、私。 心からの笑顔を失くしたのは、私。 俯いたまま、金木犀の花粒を見つめる私の耳に、あなたの立ち上がる音が聞こえる。 『ちゃんと、笑って』 もうひとつ、私の心に言葉を落として。 足音が、こんなに大きく響くものだったなんて。 ごめんなさい。 さよなら。 そんな言葉も言えずに、ただ俯く私は、金木犀の花粒を見つめる。 足音が、遠ざかっていく。 私はただ、花粒を見つめる。 足音が、聞こえなくなる。 ひとつ、またひとつと降ってくる花粒は、私の涙だったのかもしれない。 あなたの気配が消えた。 ぽつり、ぽつりと。 私の代わりに泣いてくれる金木犀の、甘やかな香りだけを残して。 Fin.
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