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波打ち際から眺めた時は、すぐにたどり着けると思ったのに、いざ海水に入ってみると、思ったよりもその距離は遠かった。
30秒のハンデを貰ったのに、岩場に着くのは月征の方が、全然早くて、焦りから直のフォームは更に乱れる。
「月征先輩、早いですっ」
負けた悔しさで、直は突っかかるような言い方になってしまう。
「水泳はずっとやってたから。肺活量も鍛えられるし」
自慢気に言うこの人は、サックスをうまく吹くこと以外のことは念頭にないのだろうか。月征らしさに直の悔しさも波のようにさーっと引いていく。
岩場の手頃な石に腰掛けて、休憩する。朝からロングドライブの後の水泳で疲れたのだろう、月征がひとつ大きく欠伸をした。
「あ、ごめん…退屈とかじゃないよ?」
「わかってます。月征先輩お疲れですよね」
「ちょ。年寄りあしらうみたいに言わないでよ」
「…そ、そんなつもりは」
「――あいつら、どうしたかな…」
ふっと陸の方に目線をやって、月征が呟く。
「陽向先輩がいるから、大丈夫だと思います」
「…というか、すぐにあっちに戻らない方がいいよな…」
やっと会えたふたりに気を利かせるつもりらしい。月征らしい心遣いだ。詩信とは犬猿の仲のくせに、陽向のことは慮れるらしい。
「…そう、ですね」
「俺も、その方が都合がいいしね」
そう言って、月征はにこっと笑う。…ど、どういう意味だろう。けど、よく考えたら自分たちもふたりきりだった。
沖から離れてるせいか、遊泳ゾーンぎりぎりのこのあたりは、泳いでる人の姿もまばらだった。
「直」
「は、はいぃぃっ」
詩信や陽向の前では『早川』のままなのに、ふたりになると、月征は直を名前で呼ぶ。その切り替えの度に、いつも直はどきんとなってしまう。
(…い、いい加減慣れないと、ってわかってるんだけど)
「お願いがあるんだけど」
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