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来訪者は海の向こうから
紗蔵町。日本のどこにでもありそうな平凡な町である。強いて特徴を上げるなら、和菓子の老舗が多いことや、春になると河川敷に見事な桜が咲き誇ることくらいだろう。
「大した名所じゃないか」って?昔から住んでる人間からすれば別段珍しい風景でもないから、少なくとも俺は特別に思ったことはない。これを見て騒ぐのはメディアや観光客くらいの物だろう。
「…っと、ちょっと急ぐか」
まだ蕾が膨らみかけの桜並木通りの下を、俺は小走りで駆けていく。一つ前の信号に、学校へと向かうバスがさしかかって来るのが見えた。
そしてバスに辛うじて乗り込んだ俺の目に飛び込んできた、通学する生徒や通勤するサラリーマンなどでごった返し、不快指数が振り切れているバスの車内も、これもまた見慣れた光景である。自分の前のサラリーマンの禿げ頭を邪魔に思いながら、俺はそんなことを思いながらつり革にすがりついていた。
春。幾度となく同じ町で迎えた、同じような春。今年も春がやってくる。きっと今年もまた同じ場所に桜が咲き、同じような花見が催され、同じような時間が流れていくのだろう。そんな斜に構えた考えで揺られる俺を、一年間乗り続けた同じバスが同じ路線を走っていく。きっと今年の春も、例年と変わらない平凡なものになるのだろう。この時の俺はそう信じて疑わなかった。
…そう。この時の俺はこの後に起こりうる事態を一切予想していなかった。
今年の春が俺の人生を大きく変貌させるほどの衝撃と可能性を大いに秘めうるものになり、忘れることなどできそうもない出会いが待ち受けていることなど、この時の俺は知る由もなかったのである。
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