テノール

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俊介は理香子に気が付き、本を閉じて椅子から立ち上がった。 そして、隣の椅子に置いてある花束を掴むと、ツカツカと彼女の正面まで歩み寄る。 『これ、持って』 俊介は半ば強引に理香子に花束を手渡し、そのまま背中を向けて会計を済ませた。 その後『行こう』と言って二の腕を掴む。 『あっ!』 その手に引き摺られるようにして、彼女は店の外に連れ出される。 俊介は近くの駐車場まで早足に歩くと、掴んでいた手を解放した。 彼は停めてある黒いBMWの側面に立ち、助手席のドアを開く。 『乗って』 花束を抱えたまま、困惑する理香子。 確か、この人は花束を持って電車で帰るのが恥ずかしいと言っていた。 ――でも、車?って事は? 『騙したんですか!?』 『ハハ……』 キッと睨むと、俊介は照れたように後ろ髪を撫でた。 『ごめん。君をどうやって食事に誘っていいのか解らなかったんだ』 なんて人……。 本当は怒っていた。 でも、その何とも言えないお茶目な姿に強張っていた口元がふっと緩む。 理香子と俊介は、それから何度もデートを重ねて、親密さを深めていった。 『キャバクラをやめてくれ』と懇願され、すぐにやめた。 『結婚して欲しい』 婚約指輪を左手の薬指にはめられプロポーズを受けた夜は……嬉しくて涙が溢れた。
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