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「月詩、ケータイ鳴ってるわよ」
「あー、悪い」
マスターがカウンターの角に置いてある五月蝿く鳴り響くケータイを取り出し、彼に渡す。
「どしたの?」
一言謝ると月詩は少し離れたところで電話に出た。いつもマスターたちと話す時より微かに穏やかな口調で、わざとらしく見える位優しい。
普段ここにはあまりプライベートを持ち込まない月詩である。
全員が全員、そんな彼が仕事の手を止めてまで誰と電話をしているのか興味津々だった。
「バカだなー、お前。迎えに行くから少しそこで待ってろ」
じゃあな、と言って電話を切るとこちらを向く。
口元に手を当て、そこを隠すようにしているのが、ニヤけているのがバレバレだ。それを見て、一同は誰と話していたのかすぐに分かった。
「悪い。ちょっと出てくる」
「どうしたの?」
パーカーを羽織り、バイクのキーを出していると行く手を阻むように政宗が彼の腕を握った。
「学校の後輩がオートロックなのに鍵忘れたから締め出されたって」
「大家さんに言えばいいじゃん」
「旅行中なんだと。だからごめん。離して」
しかし相手は月詩の想い人だ。
政宗が適うわけもなく腕を振り払われ、彼は出ていった。
「失恋気分なんだけど」
「そうね。月詩が帰ってきたら沢山構ってもらいましょ」
政宗はブクブクと好物のオレンジジュースに差し込まれたストローに息を吹き込む。その姿は拗ねた子供のようだった。
マスターは政宗の頭を撫でて慰めている。が、そんなマスターもやや失恋気分であった。
「ケータイ取らなきゃ良かったわ」
店にはただ珍しく機嫌のいいクレアの陽気な鼻歌だけがしばらく響いた。
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