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「アンタ、名前は?」
再び歩き出しながら、彼が問う。
「嫌い――」
聞かれて、反射的にそう言ってしまった。
折角新しい場所に来たのに、もう、あの名前は使いたくなかった。
「変わった名前だな」
いやそうじゃなくて、と、言おうとする私を面倒そうに眼で制した。
「名無し猫、俺は遅刻できない仕事が待ってんの。
※※劇場ってわかる?」
何劇場、と言われたのかもわからず私は首を傾げた。
彼は露骨にため息をつくと、それでもとある建物の近くまで私を引っ張っていき、一枚のチケットを渡してくれた。
「あそこで待ってろ。
いいな? アンタは俺に拾われたんだから、勝手にどこかに行くんじゃねーぞ。
同じ迷い猫を二度見つける自信はない」
あまりの見目の良さに、木陰に居るにも関わらず、周りの女性たちが足を止めて色めき立っているが、本人は全く気に留めることもなく、颯爽と歩いて行ってしまった。光沢のある細身の黒スーツが、長身の彼に良く似合っていて、気づけば私はその後ろ姿に視線を奪われていた。
――劇団 野良猫 第三回公演 『通り雨』
とてつもなく自分好みの声の主に逆らうこともできないままに、聞いたこともない劇団の公演へと足を運ぶことにした。
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