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「……ねぇ、」
何もかもが無色で統一された質素な部屋に弱々しく声はさ迷う。やつれきった喉にもう言葉を紡ぐ力は残されていないのだ。
「居るよ、ここに居る」
相部屋の病人よりも生気を失った彼は静かに冷たい手を握りしめた。あの毎日家事をこなしていた、優しくて暖かかった母の手は枯木のように細くゴツゴツとしていて、悲しいほどに冷たかった。
「……今日ね、指輪が……取れたの」
「え?」
彼女をベッドに押さえつけるように覆い被さった白い布団をはがし、彼の手を借りて起き上がる。服の上からでもその細く痩せほそってしまっているのが分かった。
「ねぇ、あなた昔……ママの中指はどうしてそんなに細いのって聞いたの覚えてる?」
「……いや、おぼえてない」
母は、そうよね。と笑いながら、五本の震える指を掲げてみせた。枯木のような五本のなかでも、中指だけが特に細い。
「これはねぇ、呪いなの。あなたのお父さんにかけられた呪い」
花瓶の横に飾られた写真を見つめ、母は呟いた。幸せそうなふたりの間には、まだ小学生にも満たない彼が母の袖をぎゅっと握りしめていた。
「お父さんとはね、幼稚園からの仲なの。ちっちゃい頃のままごとみたいな告白でね、指輪をもらったのよ」
懐かしそうに、白い無機質な天井を見つめる彼女。その純白のキャンパスにはきっと幼いあの頃が描かれているのだろう。
青年はそれをただ静かに聞いていた。
「それでね、お父さんったらなんて言ったと思う? 予約だって、そう言ったのよ。あたしの指にお小遣いを全部使ってとったガチャガチャの指輪をはめて」
「はは、そうなんだ……バカだな親父も」
「でも、嬉しかったのよ? だから肌身離さずいっつもつけてたの、この指輪を。……そしたら、取れなくなっちゃって」
くすりと笑いながら、母は顔を緩めた。小さな指輪を見つめながらなつかしいな、と呟く。
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