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「お疲れ様です、クレス騎士団長」
御二人から視線を剥がし横を向くと、執事長のオランが柔和な笑みを浮かべて立っていた。
年齢は五十を越え、代々グランスワール王国に仕えてきた由緒正しき血筋の者であり、平民上がりの私にも分け隔て無い態度をとる、人望の厚い存在だ。
「いえ、オラン執事長こそお疲れのご様子で」
私は常に綺麗に撫で付けてある、白髪混じりのオールバックがほつれているのを見ながら、執事長の苦労を労う。
武芸一般に秀で、幾多の知識と教養を身に着けている完璧超人の執事長ですら、フォルテ様には手を焼いているようだ。
私の視線に気付いたのか、恥ずかし気に髪の毛を整え、「失礼」と咳払いとともに居住まいを正す。
年齢的には私の十以上も歳上ではあったが、互いの間柄は<戦友>のそれに近い。
互いに二十年以上もアルト様のお側に仕えた身。その苦労は互いが互いを認め合う程。あまり大きな声では言えないが、二人で酒を酌み交わす時には苦労話をつまみとする程だ。
現在は執事長の身でありながら、フォルテ様専属の教育係をも同時に勤めている。おてんばの血筋をもしっかりと受け継いだフォルテ様のお相手は、流石の執事長も苦労をしているのだろう。
最近は年相応……なのか定かでは無いが、それなりに落ち着きを身に付けてきたアルト様の相手をする私より、その苦労は多大なものであると察する事が出来た。
他人の不幸を笑うつもりは無いが、せめて酒の一杯でも今度奢ってやろうと考えていた際、不意に声が掛かる。
「ねえ、クレスゥ」
ギクリと、心臓が嫌な音を立てた。不味い、不味い、不味い。
何が不味いかと言うと、アルト様がクレスの後に『ゥ』を付けた事だ。こう私を呼ぶときは、決まって厄介事が降り掛かる。
背中に嫌な汗が流れ、執事長は憐れむように私を見る。
待て、やめろっ、なんだその眼はっ!! まだ絶対に厄介事と決まった訳では無いのだぞ!?
執事長はストレスが溜まると人が悪くなり、こうして他人の不幸を笑う時がある……普通では気付かない程の変化ではあるが。
執事長に酒は奢らないと心に決め、二人に向き直る。
「はい…………何でしょうか、アルト王女殿下」
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