◆プロローグ◆

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奇術師の息子 哀払奇術団次期エース まあ、ぼくの肩書きを語るとしたら、そんなところが無難だろうと思う それがきっと、ぼくを他人から見た時の評価であり、ぼくの名前、個体識別名称以外では、ぼくを示すものだ しかし、それはどう贔屓目に見たところで、ぼく自身を表すものではない、というのは分かることだろう。奇術師の息子、というのはぼくの父親ありきでつけられたものだし、哀払奇術団次期エース、というのも哀払奇術団の中での、ぼくの立場にすぎない それはぼくを示すものではあっても、決してぼくを表すものではない。ぼくの立場を表す言葉なのだ 肩書、というのはきっと当たり前にそういうものなのだろう、ということは分かっている たとえば、ぼくは現在中学二年生で、いわゆる自意識過剰症になりやすい年頃で、冷めててクールで飄々としている奴がカッコいい、とか勘違いしてしまうような年頃で それゆえにかどうかは知らないが、「ぼくは果たして誰なのだろうか」とか、「ぼくのことを誰も見てくれない」とか、そんなことを思わないと言ったら嘘になる 肩書は立場を示すものだということをわかってはいても、自分の名前以外に、自分を表す呼称が欲しい、と思ったことがないでもない たとえば、傍観者、という肩書 それは立場、というよりは、自分の性質―――、というよりは人間性か。それを表す言葉だろう。人間性、というのはイコールで、自分自身と言い換えることもできる たとえば、最強、という肩書 それは自分自身の強さを示すもので、それもやはり性質、人間性のことだろう。つまりは自分自身だ 他にも無敗、とか、自己犠牲、とか、まあそこらへんを列挙していったらキリがないのでやめるけれども、つまりはぼくもそういうものが欲しいのだ
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