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そして、今、私は今までの人生を走馬燈のように思い出しながら、道路に横たわっています。
何度も車で轢かれた私の身体はもう動かすことはできません。
きっかけは、些細なものでした。仕事が長引いて、帰りが遅くなった私は足早に家路へと急いでいました。夜から雨が降るという予報を聞いていたからでした。あまりにも、急いでいたので私は信号機をよく見ていませんでした。いえ、信号はちゃんと見ていました。歩行者信号が青く点滅しているのを。赤信号に変わった時、一時停止線に停車していた車が走り出したのでした。普通なら、歩行者がいるので発車するのは躊躇(ためら)うはず。けれど、運転手には私が見えていませんでした。誰もいない横断歩道しか運転手には見えていなかったのです。
私が気付いた時には、間に合いませんでした。避けることもできず、車に轢かれました。
瞬間、周囲に私が跳ねられた鈍い音が響きました。その時だけ、人は一瞬でしたが反応してくれました。私が跳ねられた瞬間の音に。けれど、すぐに気のせいだと思い、誰もがいつもの生活に戻り、私に気付こうとしてくれません。
「た、すけ・・・て・・・」
私は必死になって助けを求めました。弱々しい声を振り絞って誰かに助けを。誰も助けてくれないと分かっていながら。
そして、助けを求める私に救いの手に代わり、追い打ちがかけられました。動けない私は○○と同じ。誰も気付かない。それは、つまり、更に車で轢かれるという残酷な現実でした。
何度も、何度も。行き交う車に轢かれ私の身体は、人形のように複雑に折れ曲がり見るも無惨な姿へと変わりました。
繰り返し車にはねられたせいで、初めは音で少しは私の存在に気付いてくれていた人達も次第に、私の存在に気付かなくなってきました。もう、私の××が裂けようが、××が飛び散ろう誰も気付かず、若いカップルは暢気に雨空を見て談笑していました。閉店間近の店は、ショーウィンドーにこびり付いた私の××に気付いて、それを落とそうとしています。
走馬燈を繰り返しながら、私は今までの人生を反芻した。誰にも相手にされない、不幸でもなければ幸福でもない人生。誰にも気付いてもらえなかった----『私という存在』。
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