8人が本棚に入れています
本棚に追加
/128ページ
そんな部長にも怒ることもなく希久美は、おやすみなさいと部長の背中を押した。部長は諦めて家に向かってふらふら歩き始めた。その後ろ姿を見送る希久美に、泰佑が近寄っていった。
「大丈夫か?オキク」
「別に…。仕事をしている女には、よくあることよ。」
「よくあること?」
「不愉快だけれど、ウブな女子高生でもあるまいし、蚊に刺されたほどでもないわ。」
希久美は、自分の横顔を見つめる泰佑の視線を意識した。やがて泰佑が口を開く。
「しかしあの部長、キャリアだか何だか知らないけど、最低だな。」
そう言うお前も同じだ。しかも泰佑から受けたダメージは、間違っても蚊に刺された程度とは言えないものだった。胸に込み上げてきた言葉を吐き出したい気持ちを押さえ、希久美は話題を変える。
「帰りの便は押さえた?」
「ああ。」
「なら、朝フロントで待ち合わせましょう。疲れたから休むわ」
希久美はエレベーターに向かいながら、彼女をじっと見送るだけで一緒にエレベーターに乗り込まない泰佑を不思議に思った。
翌朝、フロントで泰佑と待ち合わせ、タクシーに乗り込んだものの、希久美はいつまでも見知らぬ道を走り続けるタクシーに心配になって聞いた。
「ねえ泰佑。このタクシー空港へ向かってるの?」
「いや…。朝一の便が取れなかったので、ちょっと寄り道することにした。」
泰佑は車のシートに悠々と腰掛け、平然と答える。
「何を勝手なこと言ってるの!あたしは帰ってやらなくちゃいけないことが、いっぱいあるのよ。」
騒ぎまくる希久美に構わず車はその進路を変えようとしない。希久美が航空便の空席確認をしようとバッグからとりだしたスマートフォンを、泰佑はやすやすと取り上げた。
「なんてことするの!返して!」
掴みかかる希久美に泰佑は抵抗もせず、しかし動こうともせず平然と構えていた。
「泰佑!私を拉致ってどうするつもり!」
希久美は10年前を思い出して怖くなった。やがて、タクシーが鳥取砂丘の入口に着くと、泰佑は希久美を無理やり降ろしタクシーを帰してしまう。
「あたしもう嫌!なんであんたとこんなところに来なきゃならないの?」
泰佑に悪態をついて、希久美は歩道にしゃがみ込む。それを見た泰佑は、今だとばかり希久美の足元に飛びついた。
「何するのよ!」
泰佑が、今度は希久美の靴を取り上げてしまったのだ。裸足になった希久美の悪態が一層激しくなる。
最初のコメントを投稿しよう!