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「ナミ先生。夜も遅いですから、お送りしますよ。」
ナミは玄関で靴を履くと、腕を組んで仁王立ちになった。
「寝ているユカちゃんをひとりに出来ないくせに…。そういう無責任な発言がいけないんです!」
呆気にとられる石嶋の鼻先で荒々しく玄関ドアを閉めて、ナミは家を出た。こんなに腹が立つ理由が、ユカを想ってのことなのかよくわからなかった。やがて夜露の冷気にあたって興奮が冷めて来ると、医師としての自分が、冷静さを失った自分を責め立てる。タクシーがなかなかつかまらない歩道で、惨めな思いが襲ってきた。ナミは、荒れ模様のこころの内とは裏腹に、雨が小ぶりになっていたのがせめてもの救いだと思った。
誰が見ても嘘くさい直行業務から夕方帰社したテレサ。デスクに着いた早々編集長からお呼びがかかった。応接室に呼びだされる時は、大概人目のない所で叱られる時だ。今度はどの仕事のあらが露見したのだろうと、びくびくしながら応接室へ行くと、編集長とスーツの男性がテレサを待っていた。
「ああ来たな。ご紹介します。うちの雑誌の編集担当です。」
スーツの青年が席を立ち、名刺をテレサに差し出した。
「はじめまして。」
テレサは、その声の主を見てこの男と運命的なものを感じた。
「はじめまして、ではないですね…。」
「えっ、ああ、あなたは…。」
絶句する泰佑。なかなか自分の名前を呼んでくれない泰佑に焦れてテレサが言った。
「やだぁ、名前忘れちゃったんですか?テレサですよ。市橋テレサ。先日はどうもお世話になりました。」
自分の名刺を手渡すと、あらためて泰佑の名刺を見た。えっ、オキクの復讐相手!テレサはあらためてこの男との因縁の深さを思い、ゾクゾクするようなスリル感で身体が震えた。
「へぇ、汐留のバリバリ営業だったんだ。」
「なんだ市橋、お前知り合いか?」
編集長の言葉に、テレサは意味ありげなうすら笑いを泰佑に投げかける。これで泰佑のフルネームもわかってしまった。
「石津さんはピンクリボンの啓発広報を担当されていて、うちの雑誌との編集タイアップをご希望だ。読者ターゲットにはあったテーマだし、なんとか実現できる方向で進めたい。お前の担当ページで考えてくれないか?」
「ええ、そりゃもう泰佑が是非とおっしゃるなら、何でもやりますけど…。」
「おい、お客さんをそんな呼び方して失礼だぞ。」
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