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「全部吐いたし、少し休んだら楽になったよ。それに、ふたりのおしゃべりがうるさくて、おちおち寝てられない。」
少し怒気を含んだ泰佑の口調に、ばつが悪くなった希久美が席を立った。
「やだ、すっかりおじゃましちゃって。おばあちゃん私帰ります。ご馳走になりました。」
「オキク。タクシーがつかまる通りまで送って行く。今ざっとシャワーを浴びて来るから、待っててくれ。」
スウェット姿の泰佑に付き添われながら、希久美は黙って夜道を歩いていた。やがて泰佑が口を開く。
「俺の部屋に入ったのか?」
「泰佑ねぇ、そんなことを気にする前に言うことがあるんじゃないの。」
「う…今日は面倒かけたな。ありがとう。」
「声が小さくて聞きとりにくいけど、まぁいいか。」
「…だからさ、ばあちゃんとなに話してたんだよ。」
「別になにも…。」
「嘘だろ。机に俺の昔の写真があったぞ。」
食い下がる泰佑に逆切れした希久美が立ち止まって語気を荒めた。
「そうよ、泰佑の部屋にも入ったし、服も脱がせたし、子供の頃の写真も見たわよ。泰佑のこと、よーくわかっちゃった。スポーツやってないと言いながら、野球が大好きで部活をしっかりやって、暇な時はギターも弾くし、天気のいい休日にはバイクでツーリングもするのね。」
「そうか…。」
泰佑は消え入りそうな声で返事を返す。希久美は今の状況が優勢であることに勇気を得て、気になっていたことを一気に仕掛けてみた。
「ところで、菊江って誰?」
ぎょっとした泰佑のその時の表情は、その名前を恐れているかのようでもあった。
「なんでその名を?」
「うなされながら言ってたわよ。」
黙ったまま泰佑は何も答えなかった。長い沈黙の間の後、泰佑は重たい口を開く。
「オキクが、今日知ったことを、べらべら他人に喋るような奴ではないことは、良くわかっている。」
「なにが言いたいの?」
「だから…、これだけ俺のことを知っている女は、お前だけだってことだ。」
希久美は泰佑が止めてくれたタクシーに乗り込んだ。走り始めたが、泰佑は路上からいつまでも希久美のタクシーを見送っているようだった。希久美は後部座席で別れ際の、泰佑の言葉を思い返した。『これだけ俺のことを知っている女はお前だけ』それって、特別になったということかしら。希久美は、いよいよ仕上げの時期が迫ってきていることを感じた。
「それにしても…。」
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