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「この程度のアップは基本だ!」
泰佑は容赦なく希久美を追いたてる。額にうっすら汗がにじむ頃、希久美はようやくキャッチボールが許された。自分にあった相手を探しまわっていた希久美だが、今度も泰佑がグローブを希久美の頭にかぶせ、ジャージの首を持って引っ張って行った。学生時代に野球を競技としてやっていた泰佑の球は、どんなに緩く投げたとしても希久美にとっては弾丸の速さに感じる。泰佑の投げたボールに、希久美はキャーキャー言って逃げまわり、キャッチどころではない。
「オキク、いい加減にしろ。野球はボール取らなきゃ始まらないんだよ!しっかりボールを見れば怖くないだろ。」
「そんなこと言ったって…。」
「わかった。グローブ開いたところに投げてやるから、へたに動かすな。」
「そんなことできるの?」
半信半疑で身体から遠い所でグローブを開いていると、泰佑の投げたボールが見事に開いたグローブに飛び込んできた。
「へー、さすが泰佑。だてに12番背負ってたわけじゃないわね。」
「え、なんで知ってる?」
「写真で見たもーん。ほらもう一球。カモーン!」
高校時代、希久美は河川敷グランドの遠くから、野球部の練習を見つめる毎日だった。監督やコーチに指導されての練習は、部員達にとってかなりつらそうに見えた。でも同じようなことを今泰佑とやってみると、案外彼らも楽しんでいたんではないかと思えるようになってきた。声を掛け合いながら、ひとつのボールを受け取り、投げ合う。たった数分のキャッチボールだが、一日中おしゃべりして過ごすより、何倍も大きな相互理解と親密感をもたらした。希久美は過去の因縁を忘れ、しばらく泰佑とのキャッチボールを楽しんだ。
一方、職場のチームメイト達は、そんなふたりを好奇の目で見守っていた。一時期はセクハラ騒動を起こすほど仲が悪かったふたり。そのふたりが朝から離れようとせず、楽しそうに体操やキャッチボールをしている。あいつら、いつのまに出来てしまったのかと、同僚たちは囁き合いあう。ひそかに泰佑を慕っていた女子契約社員などは、うっすら涙を浮かべているものさえいた。
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