オキクの復讐

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 いよいよ試合が開始される。希久美は、試合の前半はベンチで待機となった。泰佑がホームベース上で、ナインにげきを飛ばす。あの懐かしいキーの高い声だった。試合は社内親善にふさわしく、競技と言うよりは、どたばたとした遊戯のレベルである。大きな白球を追って右往左往する選手たち。そんな中でも、ふと希久美は泰佑だけ目で追っている自分に気付いた。晴天のグランドの解放感が、高校時代の自分を蘇らせたのだろうか。白球が野手の間を抜けている最中でも、希久美は、捕手の面を投げ捨てて、返球の位置を指示する泰佑を見ていた。打者となった泰佑が外野に向けて大きな打球を放った時でさえ、希久美は打球ではなく、ベースを掛け回る泰佑だけを目で追っていた。ベンチで声援する希久美のこころは、すっかり女子高校生時代に戻っていたのだ。  3点をリードする最終回。いよいよ希久美の登板機会がやってきた。ベンチの仲間に励まされ、マウンドに上がった希久美だが、緊張のせいかストライクがなかなか入らない。四球で出たランナーを、野手がエラーで進塁させてしまう悪循環。なんとか2死までこぎつけたものの2点を失い、なおも満塁のピンチ。さすがの希久美もこの局面の重要さは十分理解していた。おもむろに泰佑が立ちあがり主審にタイムを告げると、ボールを手の平で擦りながら、マウンドの希久美に近づいていった。 「なによ。間を取るなんて、たかが社内ソフトボール大会でおおげさじゃない。」  希久美が肩で息をしながらも泰佑に強がる。 「いやね…。」  泰佑がミットで口を隠しながら、小声でささやいた。 「相手のベンチにさ、さっきからずっとオキクをもの欲しそうに見ている変質者がいるからさ。一応伝えておこうかと思って…。」  おもわず相手のベンチを見ようとした希久美を泰佑が慌てて制する。 「見るな!ストーカーっぽいから、ヘタに目が合うと後が面倒だぞ。」 「そんなこと言ったって…。」 「ベンチに背を向けるから、俺と話すふりして、肩越しに見てみろ。」  そう言うと泰佑は希久美を中心にゆっくり回った。希久美はロージンを拾い、手に粉をまぶしながら、泰佑の肩越しにチラッと相手ベンチをのぞく。 「いいか、オキクの見ている方向から一番右の男だ。」
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