オキクの復讐

69/128
前へ
/128ページ
次へ
 言われて希久美が発見したのは、10歳くらいの肥満児。鼻水を垂らし、両手にドーナッツを持ち、口をもぐもぐさせながら、希久美を凝視していた。相手チームの誰かの息子だろう。希久美は吹き出しそうになり、慌ててグローブで口元を隠した。 「あんたね。」 「はい?」 「ホンチャンの試合でもこんなことやってたの?」 「ああ、広い球場だと一発吹き出しキャラを探すのは結構苦労するんだ。」  高校時代の自分は、泰佑がマウンドの投手に声をかけに行く時は、苦しい投手を励まし、純真な高校球児らしい話をしているとしか思ってなかったのに。 「好きだ。」  希久美はいきなりの泰佑の告白に驚いた。 「いきなり、何言い出すのよ!」 「ボールであろうが、ストライクであろうが、俺はオキクの投げる球が大好きだよ。」 「ああ、そう言うこと…。」 「お前は気付いていないだろうが、お前は実に素直で、元気で、新鮮な球を投げる。結果はどうでもいいから、思い切って投げ込んで俺を楽しませてくれ。いいな。」  ボールを希久美のグローブに渡すと、泰佑はホームへ戻って行った。希久美は、小走りでホームへ戻る泰佑の背を見つめながら、自分が愛されていることを実感した。しかしそれは、女としてではなくバッテリーパートナーとしてだ。球を投げ、そして捕球するふたりは、世界中の誰よりも近しい仲として希久美は感じたのだ。  主審がプレイボールを告げる。希久美が投げた一球目は、打者のアウトローを通過した。 「いい球だ!」  ボールがミットに収まった瞬間、泰佑が叫ぶもジャッジはボール。 「いいよ、いいよ、お前のしびれる球はとった俺しかわからない。」  そう言いながら返球する泰佑に、主審も打者も笑い出した。 「さあこい!」  泰佑の掛け声に背中を押されて、希久美はど真ん中に構えられたミットをめがけて投げた。打者は手を出さない。ジャッジはストライク。 「クーッ、いいね!」  泰佑はボールを取ったミットの位置を動かさず、小刻みに震えながら全身で快感を表現している。 「こいっ、ピッチャー!今度はここだ!」
/128ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加