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言われて希久美が発見したのは、10歳くらいの肥満児。鼻水を垂らし、両手にドーナッツを持ち、口をもぐもぐさせながら、希久美を凝視していた。相手チームの誰かの息子だろう。希久美は吹き出しそうになり、慌ててグローブで口元を隠した。
「あんたね。」
「はい?」
「ホンチャンの試合でもこんなことやってたの?」
「ああ、広い球場だと一発吹き出しキャラを探すのは結構苦労するんだ。」
高校時代の自分は、泰佑がマウンドの投手に声をかけに行く時は、苦しい投手を励まし、純真な高校球児らしい話をしているとしか思ってなかったのに。
「好きだ。」
希久美はいきなりの泰佑の告白に驚いた。
「いきなり、何言い出すのよ!」
「ボールであろうが、ストライクであろうが、俺はオキクの投げる球が大好きだよ。」
「ああ、そう言うこと…。」
「お前は気付いていないだろうが、お前は実に素直で、元気で、新鮮な球を投げる。結果はどうでもいいから、思い切って投げ込んで俺を楽しませてくれ。いいな。」
ボールを希久美のグローブに渡すと、泰佑はホームへ戻って行った。希久美は、小走りでホームへ戻る泰佑の背を見つめながら、自分が愛されていることを実感した。しかしそれは、女としてではなくバッテリーパートナーとしてだ。球を投げ、そして捕球するふたりは、世界中の誰よりも近しい仲として希久美は感じたのだ。
主審がプレイボールを告げる。希久美が投げた一球目は、打者のアウトローを通過した。
「いい球だ!」
ボールがミットに収まった瞬間、泰佑が叫ぶもジャッジはボール。
「いいよ、いいよ、お前のしびれる球はとった俺しかわからない。」
そう言いながら返球する泰佑に、主審も打者も笑い出した。
「さあこい!」
泰佑の掛け声に背中を押されて、希久美はど真ん中に構えられたミットをめがけて投げた。打者は手を出さない。ジャッジはストライク。
「クーッ、いいね!」
泰佑はボールを取ったミットの位置を動かさず、小刻みに震えながら全身で快感を表現している。
「こいっ、ピッチャー!今度はここだ!」
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