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ナミの口調が今までと変わっているのに、石嶋は戸惑いを覚えた。
「ええ、先週会うことが出来ました。」
「今さらだけど、今日は折角のお休みなのにデートのおじゃましちゃったかしら。」
「いえ、先方は出張で居ないんです。気にしないでください。」
「そうですか…。それはよかった。それでは失礼します。ユカちゃんによろしくお伝えください。」
「はい…。あの、家まで送ると言うと、また怒られてしまいそうですから、せめてタクシーの拾えるところまでお送りさせてください。」
タクシーが拾える通りまで、ナミと石嶋は並んで歩いた。現実の王子は、ナミに行かないでくれとは叫ばなかった。そしてナミも、忘れものはないかしっかりと確認して、タクシーに乗り込んだ。ナミの夢の一日はこうして幕を閉じた。
石嶋が秘書に案内されて役員室へ入ると、青沼の部屋にはすでにランチの準備が整っていた。
「おお、来たか、さっそく報告を聞きたいところだが、妻が食事を摂る時間にうるさくてね。昼食をしながらの話しでいいかな?」
「はい。」
「忙しい時は部屋で昼食を摂るんだが、一緒にどうだ。」
「はい、いただきます。」
石嶋が報告書をデスクに置いて席に着いた。石嶋の席の前には、ビーフシチューとパンが載っていたが、青沼の席は様子が違った。
「青沼専務、手作りのお弁当ですか?」
「ああ、妻の栄養管理もうるさくてね。なんか恐妻家みたいで恥ずかしいがな…。」
照れ笑いしながらも、青沼は嬉しそうに弁当の中身を石嶋に説明した。石嶋は、そんな家庭人らしさを見せる青沼と、先日の株主総会で専務に昇格した野心家の青沼とが同一人物でありことが不思議でならなかった。
「ところで石嶋君。希久美とは何度か会ってくれているんだろう。」
「はい。」
「希久美はどうだね?」
「とても魅力的な女性だと思います。」
石嶋はこの言葉を口にしながら、なぜかナミを想った。昨日は不思議なきっかけで、ナミと一日を過ごすことになった。ユカと自分の強力な味方であるナミ先生の『先生』が取れ、ヨボになってすごした休日。そして、帰り際の態度の急な変化。ナミのタクシーを見送った時のわずかな喪失感。そんな記憶をたどっている石嶋だったが青沼の言葉で我に帰る。
「実は希久美がこの前に会ったと言っていたんだが…。石嶋君は亡くなったお兄さんのお子さんを預かっているそうだね。」
「はい。」
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