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「彰夫?だっせぇ名前ね…。及川彰夫さんご丁寧にどうも、わたくしは高井テルミと申します。こんな深夜に何かご用でございますか?」
テルミは、酔いで足元もおぼつかなくなり、彰夫の袖口をつかまないと満足に立っていられない状態だった。
「失礼ですが、このマンションの何階にお住まいですか?」
「4階よ、それがなにか?」
「ご近所の方が、高井さんが深夜お帰りになる際に出す騒音に、ご迷惑されています。」
「だから?」
「迷惑をかけないようにご注意ください。」
この夜のテルミも初めて会った夜と同様に露出度が高い服で、相変わらずに不必要な化粧をしている。テルミは、眉をしかめてしばらく彰夫を見つめていた。見つめられる彰夫も、その視線に負けまいと頑張っていたが、テルミの大粒の黒い瞳に、徐々に押されていく。
「あの、隣の女でしょ。」
「えっ、何がですか?」
「そんなうるさいこと言ってるのは、隣の女でしょ。」
『ご近所の方(●)はまずかった。方(●)たち(●●)にすべきだった。』彰夫は後悔したがもう遅い。好美への直接的なトラブルにつながらないよう、彰夫は慌てて打ち消す。
「違いますよ。」
「だいたい初めて見た時から、気に入らない奴だったのよ。」
「違いますって。」
「これからその女の部屋に乗り込んでやるわ…。」
「ちょっとやめてください。」
彰夫は、テルミの腕を取って止めた。その拍子にテルミは酔った足にバランスを失い、彰夫の腕の中に倒れ込んだ。腕の中で抱きとめたテルミの髪が乱れ、左の耳のホクロが、また彰夫の目に飛び込んできた。
「あたしになにする気?彰夫。」
いきなり自分の名前を呼ばれ、心臓がドキリと鳴った。腕の中で悪戯っぽく笑うテルミに、この鼓動を聞かれてしまうのではと不安になり、彰夫は慌ててテルミをわが身から離した。
「何もする気はありません。ただ高井さんに非常識なことはやめて欲しいだけです。」
「あの女の部屋に乗り込んで欲しくないの?」
「そうです。」
「夜騒ぐのをやめて欲しいの?」
「そうです。」
「だったら…。」
テルミは持っていたビニール袋の中から、カップの日本酒をひとつ取りだすと、口を開けた。
「今夜こそ、飲んでもらうわよ。」
テルミがあの夜のことを覚えていたのを、彰夫は意外に感じた。
「なんで、今、ここで、自分が飲まなければならないんですか?」
「あの女の部屋に行くわよ。」
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