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憶えていてくれたのが嬉しかったのか、好美の口元にわずかな笑みが浮かんだ。しかし、そのまま黙ってしまって立ったままだ。彰夫はこの気まずい間にもしばらく辛抱をしていたが、いよいよ焦れて沈黙に終止符を打つために好美を誘った。
「よかったら、お座りになりますか。」
もちろん、好美が謝して断り、立ち去っていくことを予想しての誘いだったが、彰夫の意に反して彼女が近づいてきた。仕方なく彰夫は、自分が椅子がわりにしていた流木を彼女に譲り、砂の上に直に座り込む。流木に腰掛けた好美は、手に持っていたコーヒーを彰夫に差し出した。
「あっ、どうもすみません。」
彰夫はその醒めかかったコーヒーを手に取り、好美はいつからここに立っていたのだろうかと考えた。
「その後、夜の騒ぎはどうですか?」
「ご相談したあとはずっと静かです。」
「なにか、お宅にご迷惑をおかけするようなことは無かったですか?」
「別に…。」
テルミは、約束を守ったのか。酒のシャワーを浴びても、底意地の悪い彼女のことだから、約束を守ることには懐疑的だったのだが…。とにかく、好美に何も危害が無くてよかった。
「相手に注意して下さったんですか?」
「ええ、まあ…。」
「ありがとうございました。」
「いえ、仕事ですから…。」
朝の海を眺めているふたりにまた沈黙が訪れた。長い沈黙の後、今度は好美が口を開いた。
「部屋のベランダから、この浜が見えるんです。」
「そうですか。」
彰夫は振り返って、目の上に手をかざして遠くを見つめた。たしかに、松風マンションのベランダが、民家の屋根を越えて小さく見える。
「朝、ベランダから浜を眺めたら、お姿が見えたんで…。」
彰夫は意外な言葉に驚き、思わず好美を見た。それでわざわざコーヒーを入れて、持ってきてくれたのか?好美も自分の口から出てきた言葉に驚いているかのように、スッピンの顔を赤らめて、うつむいていてしまった。彰夫は、素顔がこれほど可憐で美しいのはもしかしたら反則じゃないかと思った。今朝も大きめの服でからだのラインを消していたが、朝日にわずかに透ける素材なので、その均整のとれたボディラインをかすかに感じることができた。
しばらく言葉を失っていた彰夫だったが、今度は何か言葉を繋げるのが自分の義務の様な気がしてきた。
「大塚さんは、女子美で絵を勉強されているんですよね。」
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