アキオ・トライシクル

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 昨夜のテルミの飲み方は、あまりにも攻撃的だった。それにあのうわごと。あれは明らかに作品展に自分を誘った好美の事を言っているに違いない。理由はわからないが、ついに交代人格が基本人格と衝突を始めたのか。それって、人格統合の前兆か?それとも破たんの前兆なのか…。もっと、勉強しなければならないことが沢山ある。いろいろ思い悩む彰夫だったが、しかし彼の心にも、ひとつだけ明解な解があった。いずれにしろ、テルミの攻撃から、基本人格の好美を守らなければならない。理屈抜きの意思だった。なぜ?どうして自分が?今まで何事を決めるにも常に自分の指標となっていたはずの消去法が、いつのまにか隅に追いやられ、どうしても自分がやらなければならないと直感していた。つまりこれが、日頃彼が一番恐れていたはずの衝動なのである。 「突拍子もないことを言うけど、驚かないでください。」  彰夫は好美の肩を抱く腕を解かずに言葉を続けた。 「好美さん、一緒に暮さないか。もちろん恋人としての同棲じゃなくていいんだ。友達としてのルームシェアと考えて欲しい。出会ったばかりの男と暮らすなんて、とんでもないかもしれないけど、信じてもらえないかもしれないけど…。」  それ以上の言葉は必要が無かった。彰夫の腕の中で、好美が何度もうなずいていたのだ。  彰夫の動きは迅速だった。不動産屋の情報網を総動員して、ふたりが住む部屋をすぐさま探し出した。好美が好きな海の見えるベランダがあり、キッチンとバスルームはひとつでも、鍵のかかる寝室が2部屋あるマンション。好美が退院すると、ふたりはすぐにその部屋に引っ越したのだ。 「はい、これが玄関のカギと寝室のカギ。僕の部屋は鍵を付けないから、不安な時はいつでも入ってきていいからね。」  にこにこして鍵を受け取った好美は、彰夫との暮らしが嬉しくて仕方がないようだった。大学から帰って来ると、早めに仕事から帰って来た彰夫が、キッチンで鍋の湯気に包まれて夕食の準備をしている。寝室での創作活動で喉が渇き、リビングへ出ると彰夫が読書をしている。寝坊して起きると、キッチンのテーブルにメモとともに朝食が準備してある朝もあった。彰夫が待つ部屋に帰り、彰夫とともに時を過ごし、毎朝彰夫の存在を感じる。ひとりきりで味気ない、今までの生活が一変した。
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