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「嫌いなものは殺してしまう、それが人間のすることか?」
体育館の舞台の上、鳴は良く通る声に悲痛な色と僅かな怒りを含ませてステージに立つもう一人の人物を睨み付けた。
「憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね」
男は僅かな嘲笑を浮かべて鳴を卑下するように鼻で笑ってみせた。声に含まれる侮蔑と冷たさは静かに体育館に響く。
「…そこまで、今日はここまでだ」
制止の声がかかり鳴は小さく溜め息を溢し、 目の前に立つ黒須へ視線を向ける。
「おい」
「んー?なぁに鳴っち♪」
先程まで憎しみを込めた目でこちらへ台詞を返していた人物とは思えないヘラリとした表情に呆れたような目を向けてから肩を竦める。
「さっきの台詞の時、立ち位置が違った。あたしとの距離が近すぎる、上手と下手いっぱいでやるシーンだろ」 「えー?そうだっけー?」
気の抜けるような声に今度こそ鳴は眉をひそめた。
これで何度目の注意だと思ってるんだ。
動きから台詞まで台本の通りにきっちりとこなす鳴に反して、黒須は台詞は変えるわ動きは変えるわと自由だ。違和感の無い自然なアレンジであるから舞台に支障はないが、黒須がこういった役についた時、鳴は違和感を覚える。
台詞を投げる相手が黒須なのか、役なのか分からなくなることがあるからだ。
演目は「ヴェニスの商人」、シェイクスピアのものだ。
鳴は主人公を、黒須はユダヤ人の商人を演じている。割愛して言えば、主人公に金を貸す代わりに期日に返せない場合、その体の肉を 一部差し出せというとんでもない男である。経緯は複雑であるのでひとえに悪人とは言わないでおく。
「明日までに立ち位置くらい把握しておいてくれ」
「はいはーい♪」
『黒須には影の部分がある。そいつが暴走するのを演じることで少しでも抑えられりゃ良いんだが』
そう言ったのは演劇部顧問だ。幽霊顧問が何をと思っていたが、演じてみれば分かる。
おちゃらけている普段の黒須が表の顔ならば、あぁいった黒い役を演じている黒須そのものが裏の顔なのだろう。
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