―第壱章―

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男は軽く会釈をすると、太めの体を押し込めるように座り、キャリーバッグを足元に立てる。 かなり窮屈そうだ。 「いやぁ……参りました。客商売をしていると、お客様からの問い合わせが時と場所を選ばす来ましてね――こいつも考え物ですな」 青年が問いもしないのに、男は一方的に話すと携帯電話を青年に示し、苦笑いを浮かべる。 青年は手にした便箋や資料を手早く旅行鞄に収め、窓に頬杖をついて車窓の外に目を移す。 男は青年が抱える旅行鞄を目にして笑みを浮かべる。 「御旅行ですか?」 「――いえ。引っ越しですよ」 「ほう? 若いのにお一人で」 青年の答えに男は大袈裟に驚き、感心したように頷く。 (――よく表情(かお)の変わる男だ) 青年は内心苦笑いした。 「貴方は?」 「私は出張の帰りですよ……日帰りですがね」 青年の問いに、男はにこやかに答えた。 だが、片眼鏡の奥の瞳は全く笑っていない。 「その割りには大袈裟ですね」 青年はチラリと男の足元に置かれたキャリーバッグを見る。 日帰り出張にしては大袈裟な荷物だ。男は青年の視線に気付き、軽く肩を竦めた。 「仕事柄、手荷物が多いのですよ――」
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