真田 幸隆

5/6
前へ
/6ページ
次へ
武田の信濃戦線は連戦連勝で進み、諏訪、高遠、大井、藤沢、笠原など信濃の国人衆をつぎつぎと破ります。 中でも笠原氏の志賀城攻めの時には、城を包囲中に後詰めに来た上杉憲正を小田井原の戦いで散々に打ち負かし、打ちっとった敵兵の首を城の目前に並べ、城方の士気をを落とし落城させ・・・ 捕虜や、女子供も奴隷や家臣に与える等となかなかヘビーな事もしております。 1548年3月(天文17年2月) 信濃を統一・・・とはなりません 信濃での連戦連勝により中部ぐらいまで抑えた武田さんは北部の村上義清とバチバチになります。 村上さんは最初の方に出てきてましたねw 信玄の父信虎と一緒に海野平に攻めてきたあいつですw 幸隆さん的にも仇敵ですね・・・ そんな村上さんと上田原で合戦になります。 甲陽軍鑑によると、幸隆さんは先陣に志願したらしいですが・・・残念ながら却下されます。 戦いの結果は信玄の傅役で両職(家臣の最高位?)の板垣信方、もう一人の両職の甘利虎泰等の武将が戦死したり、本陣を攻められ信玄自身も負傷するなど、もはや惨敗といってもいいかもしれません・・・ 勿論、村上方にも相応の被害はありましたが、この戦いまで連戦連勝でノリノリだった武田には痛すぎる敗北でした。 敗戦を気に信濃国人衆達は武田に見切りをつけ村上方に付き反武田となり、逆に攻められたりもして信濃攻略は足踏み状態となります。 逸話をひとつ… 信玄は敗戦した後も、2月の寒い長野の原っぱに 負けてないもん!!!と居座り、家臣がママを呼び… 信玄ちゃん帰るわよ〜と、言われてからも20日ほどキャンプしたそうな… 家来が可哀想チ━━( ꒪⌓꒪)━━ン・・・
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加