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春の薄ら寒い夜、道を歩いてると仄かに漂う薫りがある。
艶やかなそれは鼻腔を甘く擽り、体内に侵入してくる。
暗闇でその元が見えなくとも、不思議と、はっきりとそれは、目に浮かんだ。
ふと、堕ちてきた花弁に目を上げると、暗闇の中にぼんやりと桜が見えた。
日の照る内は、美しいその花だが、薫りがするのは夜、その花が見えない時だと思う。
桜の香は、密やかに忍び込み、脳のどこかをトロリと溶かす。
思考が乱れ、息が荒れる。
それが酷く気持ち悪くて、恐ろしい。
思考は逃げるように連想する。
例えば、この時期に店頭で並ぶ桜餅。
それは俺には何だか恐ろしく移る。
あの、誘い、全てを奪う薫りを自ら身体の中に入れようとは思わない。
自ずから、入って来たのならまだしも…………。
或は、誰かが書いていた。桜の下には死体が埋まっているという一文。
どうして、こうも俺を虜にするのか…………そんな問いの答え。
あの青年は一体、何を想いその根元を掘るのだろうか。
誰かに呼ばれた気がして、顔を上げた。
目前の桜の樹は、雲間の月明かりで、ぼうと淡く花が光っていた。
昼間見るより、どこか妖艶なそれは何を誘うのだろう。
世に倦み疲れた生者か
世に迷い彷徨う死者か
風が吹いて、薫りと花弁が舞う。
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