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その時、さっきとは別の方向の茂みが音を立てる。
うつ伏せたまま、跳ねるように顔だけをそちらに向けると、赤く光る双眸と目が合った。
「ひっ…!」
とっさに逃げようと足に力を入れてしまい、痛みに体を硬直させる。
少女が逃げられないのを知っているのか。
走りかかってくるでもなく、ゆっくりと影の中から近づいてくる。
少しずつ、月明かりにその姿が明らかになる。
それは、まるで漆黒の狼。
本当の狼と違うのは、赤く光を放つ両の目と、異様に伸びた前脚の爪。
森に出入りする大人達なら、一目で判る。
一般的に“魔獣”と呼ばれる種。
だが、少女はそれを知らない。
言葉は知っていても、大人から詳しく教えられるような年齢でもない。
けれども、それが纏う空気は、明らかに死の臭いを漂わせていた。
明確な死の恐怖に、体が震え涙が込み上げる。
筋肉は強張り、視界が涙で滲むが、恐怖ゆえに目を瞑ることもできない。
獣がその姿を露わにしたとき、一瞬だけ生きたい気持ちが恐怖を上回った。
目線はそのままに、痛む足を引き摺るようにして、腕の力だけでわずかに身を引く。
それを見ると獣は歩みを止め、考えるように眉間に皺を寄せる。
低く唸り、舌なめずりをすると、さっきまでのようにゆっくりではなく、勢いをつけ少女に飛びかかる。
「……!いやーっ!!」
きつく目を瞑り、襲いかかってくるだろう痛みに悲鳴を上げる。
その瞬間、少女を中心に突風が起こる。
「ギャンッ!」
それはまるで小さな竜巻。
激しい風は一瞬で治まり、獣の鳴き声を最後に辺りはまた静寂に包まれた。
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