第一章

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その時、さっきとは別の方向の茂みが音を立てる。 うつ伏せたまま、跳ねるように顔だけをそちらに向けると、赤く光る双眸と目が合った。 「ひっ…!」 とっさに逃げようと足に力を入れてしまい、痛みに体を硬直させる。 少女が逃げられないのを知っているのか。 走りかかってくるでもなく、ゆっくりと影の中から近づいてくる。 少しずつ、月明かりにその姿が明らかになる。 それは、まるで漆黒の狼。 本当の狼と違うのは、赤く光を放つ両の目と、異様に伸びた前脚の爪。 森に出入りする大人達なら、一目で判る。 一般的に“魔獣”と呼ばれる種。 だが、少女はそれを知らない。 言葉は知っていても、大人から詳しく教えられるような年齢でもない。 けれども、それが纏う空気は、明らかに死の臭いを漂わせていた。 明確な死の恐怖に、体が震え涙が込み上げる。 筋肉は強張り、視界が涙で滲むが、恐怖ゆえに目を瞑ることもできない。 獣がその姿を露わにしたとき、一瞬だけ生きたい気持ちが恐怖を上回った。 目線はそのままに、痛む足を引き摺るようにして、腕の力だけでわずかに身を引く。 それを見ると獣は歩みを止め、考えるように眉間に皺を寄せる。 低く唸り、舌なめずりをすると、さっきまでのようにゆっくりではなく、勢いをつけ少女に飛びかかる。 「……!いやーっ!!」 きつく目を瞑り、襲いかかってくるだろう痛みに悲鳴を上げる。 その瞬間、少女を中心に突風が起こる。 「ギャンッ!」 それはまるで小さな竜巻。 激しい風は一瞬で治まり、獣の鳴き声を最後に辺りはまた静寂に包まれた。
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