風景を眺めて

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私は一人の人間へと落ちて行く いつからこのようなことになったんだろう 昔の私はまだいろいろと考えていたのではないか なぜここまで日々を何の考えもなしに過ごせるようになったのか 私は自らに問う 私の一番優れた所とは何だったのか 勉強か? 否,それは違うと言い切れる 他人との関わり方? むしろ苦手と言っていいものだ ならなんなのか? 答えは分かっているはずだ その答え… 私は思う 私はこういう風に思考することこそが私が私たる所以であり,また,それが私が一番優れたところではないかと 人間とは,深い思考を持つことができ,それを他の人間へと伝えることができる ふとしたきっかけで私の中のものを言葉にしてみたことがある それは私が私であることを深く実感する瞬間であった どこで私の心眼(レンズ)は曇ってしまったのであろう そう自分に問うてみる 私は人物を含む風景(モノ)よりも景色のみ,とりわけ人工物が映り込まない風景(モノ)に美を感じる 私がいつ思考をしていたのか 深く人間とは,生命とはと考えた瞬間はいつだったのか 答えは明らかであった 景色,とりわけ夜の空を見たときに私はそう感じるのだ 暗闇に浮かぶわずかな光 それこそが生命の儚さを私に教えてくれていたのではなかったのか 俗世に身を置き,生活する(いきる)ことは楽ではない しかし,夜空を見上げればその矮小さを感じることができるのだ 私の周りに広がった世界など宇宙(真の世界)に比べれば砂粒ほどの意味も持たないものである その砂粒の中でほんの少しの間だけ存在するモノ それこそが我々なのだと 我々が住む地球(ほし)などちっぽけである その上に存在するだけの我々の矮小さなどいうまでもないであろう 所詮人は小さき存在 いかに人が固まろうとそれは砂粒と米粒ほどの違いしか持たない あぁ,私にはまだこれだけの思考をする能力が残っていた 安心した 思考のできぬ私など,存在理由の大半を失ってただ生きるだけのモノでしかなくなる 私はまだ存在している 人間と関わり合うことは素晴らしい なぜだろう 人間同士が関わり合うことなんて 宇宙(真の世界)からすれば砂粒がこすれ合うほどの意味しか持たないのではないか
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