序幕━監獄に眠れ━

3/3
1891人が本棚に入れています
本棚に追加
/220ページ
  しかし、愚弟にとって兄を恨んだ過程はどうでもよかった。結果を手に入れられぬ半生を送ってきた彼は、ただただ結果が欲しかった。   たとえ卑怯者と罵られようとも。そして、その必死さが──兄を上回った。   負け続ける運命を背負った愚弟の初めての勝利。それは彼にとって例えようがないほど甘い密であった。 「ククク最高だよ兄貴。全てを手にいれてきた兄貴が、一番大切なものを取りこぼした。僕が兄貴の人生を滅茶苦茶にしたんだ!あの理不尽なまでに完璧だった兄貴を監獄行きにした!こんなに清々しい気分は産まれて初めてだよ兄貴。本当にありがとう」   何も語らない兄の姿を今ならば直視できた。愚弟は純粋に笑っていた。まるで親に誉められた子供のようにあどけなく純朴な笑みであった。  しかし、それこそが異常である。監獄という場所もであるが、そもそも兄が拘束され死人のようになった場でする表情ではなかった。   彼は狂っている。兄という壁に抑圧されてきた過去が、愚弟を狂わせたのだ。兄の居場所を奪うためだけに悪魔へ魂を売り払い、目標もなく皇帝となった。   国が乱れるのは火を見るより明らかである。   だが、愚弟にはまだすべきことがあった。兄が捕まって未だ鼠がうろちょろしていた。   兄の眼前に、その鼠たちの雁首を並べることが、彼に残された唯一の“夢”であった。 「アハハ安心してよ兄貴。次こそは兄貴の部下たちを連れてくるからさ。これでも兄貴には敵わないけど、狩りは得意なんだ。金色の鼠くらい楽に狩ってみせるから楽しみにしとけよ兄貴?クヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」   狂った哄笑を残し、愚弟はその場を去った。再び静寂が牢獄に訪れる。   水滴が落ちるような微かな囁きが漏れた。 「……くぁ…ま……あ……私が……」   誰にも聞き取れない。そう発した本人でさえ。  これは狂気に魅入られた大国の物語。決して同じ道を歩めぬ悲しき兄弟の物語。
/220ページ

最初のコメントを投稿しよう!