隣人

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 翌日、父を見送った私は新聞を持って出掛けた。あの女の子と言葉は通じないだろうが、話をするきっかけにはなると考えたのだ。廃屋が近付いてくると緊張のためかガスマスクからシュウシュウと息が漏れた。  建物の中に入るのは気が進まなかった。彼女の姿がいつも見えなくなる建物の裏手で私は彼女を待った。ゴーストなんて信じていないのに、緊張で手はぶるぶると震えていた。こめかみに汗が流れる。帰る、帰らない、と何度も呟いていると、私は彼女に会いたいのか会いたくないのか分からなくなってきた。そして彼女は唐突に現れた。私の姿を見た彼女は立ち止まり、私は彼女を見ながらおずおずと立ち上がると新聞を取り出して見せた。  彼女はそれに興味を示しているように見えた。私が思っていたよりずっと幼い子だった。4、5才といったところ。私と一回りくらいは違うだろう。私はにっこり笑ってから、ガスマスクをしていたことを思い出し、彼女をびっくりさせないように、ゆっくりとはずした。  私の顔を見て、彼女は警戒を解いたのか、驚くほど自然体で(体の後ろで両手を組んでいる)、私に近付いてきた。手を伸ばして新聞を渡そうとすると彼女は首を横に降った。新聞に興味を抱いているのは分かったので、開いて見せてあげると、澄ました顔のまま、新聞を見ているようだった。  彼女は何かを言ったがやはり言葉は分からない。幼く可愛らしい声だ。私が黙っていると、彼女は顎で何かを合図した。新聞をめくれと言っているのかもしれない。  私は彼女の様子を観察しながら新聞をめくり続けた。やがてある頁で彼女の表情が変わった。白人の男の笑顔を大きくとった写真だ。「この人がお父さん?」私は聞くと彼女は「ダッド」と言った。肯定なのか否定なのか分からなかったし、もしかしたらダッドという名前の人なのかもしれないが、ダッドは父という意味なのだと何故だか妙な自信があった。
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