プロローグ

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 なんだあれは。俺の両目がまばたきさえ忘れ、視線が彼女に釘付けになる。霧はどんどん濃くなりその姿が完全に自身を覆った時、彼女のよく澄んだ声が夜の静寂に闘いの合図を響かせた。 「変身」  瞬間、周囲を凄まじい強風が吹き抜ける。風は鬼男をたじろがせ、小さな火の粉を散らして灰へと変えていった。  朦朧とする意識の中、今起きている事を瞳に焼き付けるように俺は歯を食いしばる。助けが来たという安堵感。それは、この二人の闘争を見届けたいという好奇心にも似た感情に変わった。  男なら誰でも一度は憧れる強く逞しいヒーロー。そのヒーローのような存在が今、目の前で明確な悪と対峙しているのだ。  やがて霧は徐々に徐々に晴れていき、動きやすそうな茶色のブーツがコツコツという足音を響かせる。  黒衣に走る目の覚めるような黄色いライン。翼のようにたなびく長く伸びたスカーフ。ひょっこりとズボンの後ろから出た黒い尾。そして仄暗い瞳に灯った深紅の光。 「くろねこブラック!」  少女は……ヒーローはそう声高らかに名乗ると腰を落とし、まるで猫が獲物を見据えるように戦闘体勢をとって拳を軽く握った。 「ぐっ」  ギリギリと鬼男の歯軋りが聞こえてくる。その表情から読み取れるのはただの怒りではない。嫉妬、悔しさ、劣等感。それらの負の感情が安易に読み取れる程に、奴の表情は醜く歪んでいた。 「何故だ……何故……貴様なんだ」  食いしばった犬歯の隙間から溶岩のような唾液が垂れ、コンクリートに落ちてその表面を溶かした。 「俺とお前にどれほどの違いがあった? 何故、俺だけ不完全な存在に?」  鬼男の言葉はまるで自らを嘆いているように聞こえる。あれだけの豪腕とスピードを持っていて自らを不完全と称す意図はいったい? 彼は更に怒りを高ぶらせ、そのどす黒い感情を剥き出しにして野獣のような絶叫を響かせた。 「……違いなんてない。私も……化け物」  フッと少女の姿が闇に溶けて消える。それは高度な迷彩技術のようで、彼女の足音がコンクリートを蹴る音が鳴った。
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